順 天 倭 城
一部韓国式に積み直された主郭の石垣
| 所 在 地 |
: |
全羅南道昇州郡海龍面新城里 |
| 韓 国 名 |
: |
新城里城 |
| 築城時期 |
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慶長2年 |
| 築 城 者 |
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宇喜多秀家、藤堂高虎 |
慶長2年に宇喜多秀家、藤堂高虎によって、海岸段丘上に築城された。地形に沿った多重防御戦を有する大規模な倭城である。慶長の役の西部最前線で、小西行長や松浦鎮信らが在番した。
慶長の役の最終段階で明・朝鮮軍の海陸からの包囲攻撃を受け、籠城軍は脱出不能に陥る。これを救おうとした島津、宗、立花らが露梁で李瞬臣、陳隣と戦っている隙に、小西らはかろうじて脱出に成功している。
天守台を含む主郭部の石垣の一部は、韓国式に積み直されている。この過ちには韓国側も気がつき、悪い見本としてそのままとなっている。それ以外は、遺構の残存状況は良い。特に、外郭ラインが残っているのは、一見に値する。
主郭西側の虎口
主郭北側に残る天守台