2008/11/30(Sun)秋田魁新報 久保田城(秋田県秋田市):黒門跡の発掘調査結果について説明会
 久保田城の発掘調査を行っている秋田市教育委員会は、黒門跡の発掘調査結果について現地説明会を開いた。今年の調査では新たに門の礎石や複数の堀穴などが確認され、礎石のほぞ穴の位置が上から斜めにずれていることなどが説明された。このままでは柱が斜めになってしまうことや、礎石の周囲の土を掘り返した痕跡があることから、礎石が何らかの理由によって動かされた可能性があるとした。秋田市の文献調査では門が1つだけのものや2つに並んで描かれているものがあるが、調査により確認された礎石や堀穴の配置を見る限り2つの門が並んでいたとは考えにくいとしている。
▼久保田城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.kensoudan.com/firu-naka-e/kubota.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/touhoku/kubota/kubota.htm
 http://www.burari2161.fc2.com/kubotajyou.htm
2008/11/30(Sun)朝日新聞 土清水塩硝蔵(石川県金沢市):原料貯蔵庫の規模がほぼ判明
 江戸時代に加賀前田家の火薬製造所だった土清水塩硝蔵跡の発掘調査を行っている金沢市埋蔵文化財センターは、硝石御土蔵跡の具体的な規模が初めて分かったと発表した。この硝石御土蔵は火薬原料の貯蔵庫で、礎石が東西に3尺の等間隔で25個、東西に9個並んでおり、幕末頃に書かれた後藤家文書の「土清水製薬所絵図」と形状や規模がほぼ一致した。これらの遺構は世界遺産登録を目指す「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の一部と位置づけられており、同センターでは全容の解明を急ぎたいとしている。火薬製造は藩の軍事機密とされたために資料がほとんど残されておらず、これを解明しようと平成9年(1997)に地元住民らが「塩硝の道検証委員会」を結成して調査を始めたのが今回の発見のきっかけとなっている。
▼土清水塩硝蔵については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/sekaiisan/isan-30.jsp
 http://www.spacelan.ne.jp/~sakiur-k/ensho1.html 
2008/11/29(Sat)読売新聞 吉田郡山城(広島県安芸高田市):城を囲んだ郭跡と石垣遺構を確認
 戦国大名毛利氏の居城跡として知られる国指定史跡吉田郡山城の発掘調査を行っている安芸高田市教育委員会は、城を囲んだ郭跡と石垣遺構を確認したと発表した。一昨年9月の豪雨で発生した土砂崩れの復旧工事中に石垣が出土したことを受けて、今年9月から3ヶ所に分けて調査を行っていた。最下層からは東西約7m×高さ1.2m×幅0.8mの石垣が出土し、表面が平たく加工された花崗岩が5段に積み重ねられていた。また石垣の上には南北に細長い二段の郭跡も確認され、上部は版築により土盛りされていた。これらの石垣と郭跡は、天正年間(1573〜91)に毛利元就の孫にあたる輝元が広島城に移る前に郡山全山に城普請整備を拡大したときのものと考えられた。同士文化財保護審議会は、これらの遺構の保存を答申している。
▼吉田郡山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-8-10-siro-KOORIYAMA.html
 http://www.siromegu.com/castle/hirosima/kooriyama/kooriyama.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yosidakoriyama.htm
2008/11/29(Sat)岩手日日新聞 白鳥館(岩手県奥州市):奥州藤原氏と同時期の建物跡遺構が見つかる
 「平泉の文化遺産」を構成する奥州市前沢区の国指定史跡である白鳥館の発掘調査を行っている同市世界遺産登録推進室は、12世紀後半とみられる建物跡などが見つかったと発表した。見つかったのは2棟の建物跡と溝跡などで、大きさはいずれも南北約4m×東西約8.5mで建物跡を東西に横切るように長さ約5.5m×幅約0.4mの溝跡もあった。同推進室がかわらけなどの出土品から時代を特定したところ、12世紀後半のものと推定された。建物の大きさや構造などが平泉町で見つかっているものと合致していることから、当時の平泉と関係していたことは間違いないとみられる。この白鳥館からは藤原氏以前や以後の遺物は多く見つかっていたが、藤原氏時代の遺構はなかなか確認できていなかった。
▼白鳥館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/shiro/
 http://www.geocities.jp/sisin9monryu/iwate.ousyuusi.html 
2008/11/28(Fri)毎日新聞 日野江城(長崎県南島原市):明王朝時代の陶磁器「法花」片18点が出土
 国指定史跡である日野江城の発掘調査を行っている南島原市教育委員会は、15〜16世紀に中国(明)で作られた「法花」と呼ばれる陶磁器の破片18点が出土したと発表した。法花は中国・明王朝時代の陶磁器の一つで、独特の美しい文様が特徴とされ、観賞用などとして製作されたようである。法花の壺は美術品としては十数点が知られているが、発掘による出土した例はほとんどないという。国内では平成12年(2000)に大分県竹田市の小路遺跡での出土例があるが、流通量はきわめて少ないとみられる。日野江城から出土したことにより、城主の有馬氏の財力や繁栄ぶりをうかがい知る上で貴重な資料と思われる。なお、日野江城は、ほぼ完全な形の金箔瓦が出土したことでも知られる。
▼日野江城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.miyatasan.com/~yagifau/fujinamiism/hinoejo.htm
 http://www.geocities.jp/qbpbd900/hinoe.html
 http://srtutsu02.hp.infoseek.co.jp/shiro449.html
2008/11/27(Thu)伊勢新聞 津城(三重県津市):地下に排水溝発見
 百五銀行新本館建設に伴って津城二之丸の発掘調査を行っている津市教育委員会は、地下にある排水溝と新たな内堀石垣を確認した。試掘調査により長さ約7mの内堀石垣が発見されたことから、その規模と構造を確認するために発掘調査を行っていた。配水管は長さ約6.5m×直径3〜40cmで、石灰を混ぜた土製と瓦製の二種類があった。配水管の上は本丸に至る道路で、家臣団の武家屋敷地区にあたる。一方、内堀石垣については新たに長さ約18mのものが見つかり、高さは2.5mほどあった。
▼津城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.tsukanko.jp/history/index.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/tu.htm
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/tsu.html
2008/11/25(Tue)岩手日日新聞 鳥海柵(岩手県金ヶ崎町):自然の沢を加工して壕に
 鳥海柵(とのみのさく)の発掘調査を進めている金ヶ崎町教育委員会は、自然の沢をある段階で加工して壕として使用していた可能性があると報告した。今年度は鳥海柵全体の地形と二の丸と三の丸と伝えられる間にある壕の発掘調査を行い、壕の構造を調べたところ、幅は上部で約13m、下部で約2.5m、深さは約5.3mあった。これまでの発掘調査で出土した遺物などの年代を踏まえて、壕を加工した時期は10世紀後半以降から12世紀以前と推定された。また今回の出土遺物のなかに、須恵器片や土師器片、板状に加工した木製品や熱により炭化した木などがあり、鳥海柵との関連性の有無などを今後確認していく予定である。鳥海柵は、10〜11世紀にこの辺り一帯を治めたとされる安部氏の柵の一つである。
▼鳥海柵については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/shiro/contents/tonomi.html
 http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_42/vol42_2fr.htm
 http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kanegasaki/tonomi-saku.html
2008/11/22(Fri)西日本新聞 鴻臚館(福岡県福岡市):東門とみられる柱穴を確認
 7世紀後半から11世紀半ばに迎賓館として機能した鴻臚館跡の発掘調査を行っている福岡市教育委員会と専門委員会は、第1期(7世紀後半)の北館に東門とみられる遺構が見つかったと発表した。発見された遺構は北館第1期の東門の柱穴と柱列と考えられたが、これまでは第2期(8世紀前半)の南北両館に東門を確認していただけであった。古代の都や役所は南門が通例とされるが、太宰府政庁と結ぶ官道が東側に到達していたことや中国などからの使節が到着する船着き場が東側にあった可能性から東側に門が造られたと推測される。北館の北東角では海側に伸びるスロープなども見つかり、同専門委員会は鴻臚館の復元に一歩前進したとしている。
▼鴻臚館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/kourokan/kouro1.html
 http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/kicou06.htm
 http://fukuokajokorokan.npgo.jp/
2008/11/21(Fri)岐阜新聞 加納城(岐阜県岐阜市):大手門の大きさは南北11m×東西6.6mと判明
 国の史跡に指定されているかの有情の発掘調査を行っている岐阜市教育委員会と同市文化振興事業団は、本丸大手櫓門の規模や枡形の構造が明らかになったと発表した。昨年度の調査で大手櫓門遺構のうち南・東側の石垣が見つかっていたが、今回の調査では北・西側の石垣の一部が見つかり、櫓門の大きさが南北約11m×東西約6.6mと特定された。北側の本丸出入り口部分では礎石とみられる平たい石が出土し、絵図から高麗門跡と推察された。北・西側の3ヶ所で見つかった石垣の位置や形状などから、増川の構造もほぼ判明した。加納城は関ヶ原合戦直後に徳川家康が西の要衝として本田忠勝に命じて築城させたといわれ、本丸では江戸初期に多くみられる出枡形が採用されている。
▼加納城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kanou.htm
 http://www.takekawa.net/castle/html/shiro/toukai/gifu/kanou.html
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/kanou.html
2008/11/21(Fri)読売新聞 横山城(滋賀県長浜市):鐺が出土、切り岸や石列なども検出
 姉川の合戦の後に木下秀吉が城代となったことで知られる横山城の発掘調査を行っている長浜市教育委員会は、刀の鞘の先端に嵌める金具である鐺(こじり)が滋賀県内で初めて出土したと発表した。さらに防御のための施設である切岸や土塁の基礎となった石列なども検出され、織田氏と浅井氏との間で激戦の舞台となった横山城の実像が明らかになりつつある。この鐺は楕円柱形の銅製品で、装飾がないことから雑兵の刀の鞘が戦で破損した際に落ちたとみられた。また切岸遺構は曲輪跡西側の二重空堀の真上に位置し、西側の守りの要と思われる。また長さ1.1mほどの石列も、曲輪付近で発見されている。横山城は京極氏によって築かれ、のちに浅井氏の拠点の一つとなった。元亀元年(1570)の姉川の合戦の際には浅井氏攻めの拠点と位置づけた織田氏によって攻め取られ、合戦ののちに木下秀吉が城代となっている。
▼横山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yokoyama.htm
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/yokoyanang.htm
 
http://www.biwa.ne.jp/~marunaka/yokoyama.htm
2008/11/21(Fri)朝日新聞 左沢楯山城(山形県大江町)、赤木名城(鹿児島県奄美市):文化審議会が国指定史跡に答申
 11月21日に開催された文化審議会(石沢良昭会長)は、加賀藩主前田家墓所など9件を国の史跡に、2件を名勝にするように答申した。このうち城郭関係としては、山形県大江町の左沢楯山城と鹿児島県奄美市の赤木名城が選ばれた。左沢楯山城は今年の山城サミットの会場となったところで、まさにちょうど良いタイミングであった。また沖縄のグスクは世界遺産や国指定史跡となっているが、奄美大島のグスク(城)が国指定史跡となるのは初めてである。
▼左沢楯山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.sengokushi.com/c6/siro/index.php?cid=8
 http://www.ic-net.or.jp/home/rinet/yympatrzwsrat.html
▼今年の山城サミットについては、下記サイトをご覧ください。
 http://www.town.oe.yamagata.jp/yakuba/kakuka_osirase2/yamasirosamiltuto_2008.htm
2008/11/20(Thu)紀伊民報 田辺城(和歌山県田辺市):城下町遺跡から幕末の貯蔵庫とみられる石積み
 田辺市海蔵寺前の田辺城下町遺跡の発掘調査を行っている和歌山県文化財センターは、石積みで四角に囲んだ貯蔵庫とみられる遺構が見つかったと発表した。石積みの一辺は95cmほどもあり、深さは70cm以上で、近くに井戸跡があることから食物の保存に使われたのではないかとみられる。この遺構は幕末のものと考えられ、江戸時代末期の生活の一部を垣間見ることができる遺構としている。
▼田辺城と城下町遺跡については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.wabunse.or.jp/maizouHP/kobetushoukai/tanabejyoukamati/tanabejyoukamati-19seika.html
 http://www.wabunse.or.jp/maizouHP/kobetushoukai/tanabejyoukamati/tanabejyoukamati-20.html
2008/11/20(Thu)中国新聞 三宅御土居(山口県益田市):中世の盛り土造成跡見つかる
 国指定史跡である三宅御土居の発掘調査を行っている益田市教育委員会は、発掘調査の現地説明会を開催した。これによると、中世の盛り土造成跡が新たに見つかり、今後建物跡などの遺構が発見できる可能性が高まったという。三宅御土居跡は中世に益田市一帯を支配した豪族益田氏の屋敷があったところとされ、同市教育委員会では9月から7ヶ所の調査地点で調査を行っている。
▼三宅御土居については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/miyakedoi.htm
 http://www.sanjo.jp/yamane/miyake.html
 http://www.city.masuda.lg.jp/kanko/masudashi_02.html
2008/11/13(Thu)読売新聞 水戸城(茨城県水戸市):15世紀の障子堀などが出土
 水戸城の発掘調査を行っている水戸市教育委員会は、障子堀と呼ばれる15世紀の堀跡や江戸時代の大日本史編纂所「彰考館」に私用された数万点の瓦などが見つかったと発表した。旧三の丸にあたる水戸市立第二中学校の敷地内で今年8月から進められてきた発掘調査によるもので、堀跡は十ヶ所ほど見つかった。これらの堀は、応永33年(1426)に城主の馬場満幹が水戸城を留守にしている間に城を占拠した江戸通房とその一族によって造られたものとみられる。障子堀は堀内に仕切りをつけたもので、堀内での敵の移動を阻止するためのものである。この旧三の丸は江戸時代の水戸城拡張に伴って二の丸となり、「大日本史」編纂の拠点となった彰考館も置かれた。今回出土した瓦のなかには弘道館の棟飾瓦と同じデザインのものもあり、当時の彰考館の姿を伺わせる資料となる。
▼水戸城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/mito.htm
 http://csx.jp/~hakubutsukan/hitachi/mito.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Ibaragi/Mito/index.htm
2008/11/11(Tue)朝日新聞 赤穂城(兵庫県赤穂市):城下の侍屋敷跡から17世紀前半の木簡が出土
 赤穂市上仮屋の赤穂城下にあった侍屋敷跡の発掘調査を行っている同市教育委員会は、17世紀前半のものとみられる3点の木簡が出土したと発表した。浅野氏の前の池田氏時代のもので、7年前に十数点見つかったのに続いて赤穂城下では2度目の出土である。この侍屋敷は、池田氏時代の絵図によると「宮内七郎左衛門、三百石」とある。高瀬船が行き交う小舟入から敷地内まで船が入る水路が続いており、今回の木簡はこの水路の底と屋敷跡から見つかった。木簡に記載された内容は年貢米などの荷物の受け渡しで、同市教育委員会では当時の物流の様子がうかがえるとしている。
▼赤穂城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/akou.htm
 http://www.iskweb.co.jp/ibj/kyukei/shiro/akou%82%8A%82%8F%82%95.htm
 http://www.nishi-harima.gr.jp/corridor/akou.html
2008/11/09(Sun)朝日新聞 虎居城(鹿児島県さつま町):発掘調査現地説明会開催
 中世山城である虎居城の発掘調査を行っている鹿児島県立埋蔵文化財センターは現地説明会を開催し、440人ほどが訪れた。虎居城は平安末期に郡司の大前氏によって築城されたとされ、虎が伏せたように見えることから虎居城と命名されている。今回の発掘調査は国土交通省の河川改修事業に伴うもので、城全体の約1/3を発掘した。その結果、本丸機能があると思われる「オオタノ城」や「塩の城」で穴の底に礎石を置いたとみられる柱穴が見つかり、瓦葺きの建物があった可能性が示唆された。さらに、製鉄を行った際に出る不純物「鉄滓」やふいごの一部も出土し、土塁も見つかった。
▼虎居城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.satsuma.ne.jp/myhome/kawamoto/satuma/torai.html
 http://www.hb.pei.jp/shiro/satsuma/torai-jyo/
 http://www.tabi817.sakura.ne.jp/picup/castle/ca-ka/ca-ka-torai.html
2008/11/07(Fri)中日新聞 朽木陣屋(滋賀県高島市):陣屋跡から台所や土蔵の遺構が初出土
 江戸時代の旗本である朽木氏の屋敷とされる朽木陣屋の発掘調査を行っている高島市教育委員会は、台所や土蔵とみられる遺構が見つかったと発表した。朽木氏は佐々木信綱の子孫とされ、鎌倉時代から明治維新までこの地方一帯を治めていた。また江戸時代には旗本でありながら参勤交代を行う交代寄合であり、大名に準じた存在であった。今回の発掘調査は東西290m×南北180mの陣屋跡のうちの北東部で行われ、建物跡と推定される礎石群や石組みの井戸なども見つかった。大正時代に聞き取り調査などで作成された陣屋の見取図から、台所や馬屋と考えられた。
▼朽木陣屋については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage140.htm
 http://www.geocities.jp/woodone3831/kinki/c-1-3-6-1-zinya-KUTUKI.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kutuki.htm
2008/11/07(Fri)西日本新聞 大坂城石切丁場(佐賀県唐津市):谷口石切丁場跡を浜玉町の山頂で発見
 唐津市教育委員会は、同市浜玉町の山頂で唐津藩が大坂城再築城の際に石材を切り出した採石場とみられる「谷口石切丁場跡」を発見したと発表した。石材の加工跡や搬送路線が残り、くさび跡や加工技術のレベルから17世紀前半のものと推定された。大阪夏の陣のあとの元和6年(1620)から徳川幕府は大阪城の再築城を開始しているが、この工事を西国大名に命じ、唐津城の寺沢氏も参加している。石切丁場跡で発見された石材の大きさは、慶長13年(1608)完成の唐津城のものの10倍以上の大きさがあり、この石切丁場が大坂城のためのものと判断された。ここの石質は花崗岩で大坂城のものと同じであり、高さ約5m×幅約10mの母岩や石片が残る作業場跡が点在し、寺沢氏が担当した角石の完成品も4点残っていた。大阪城再築城に際しては多くの石材は瀬戸内海海沿岸の石切丁場から運び出され、九州では福岡県行橋市沓尾で確認されている。今回の発見で、この谷口石切丁場が最西端となる。
2008/11/06(Thu)毎日新聞 金沢城(石川県金沢市):本丸跡で庭園遺構を発見
 金沢城本丸跡の発掘調査を進めている石川県金沢城調査研究所は、元和6年(1620)頃に造られたとみられる庭園遺構が見つかったと発表した。隣接する兼六園よりも半世紀以上も古く、城跡で見つかった庭園としては最古のものとみられる。発見された場所は本丸の北側で、池とみられる幅22m×深さ2.5mのくぼみが確認されたほか、池の縁に配したと考えられる直径約90cmの自然石や灯籠の一部とみられる石製円柱(直径20cm)なども出土した。同時に出土した陶器片などから、加賀前田家3代利常が本丸を再整備した元和6年(1620)頃に造られたと推定された。寛永8年(1631)に大火により本丸の機能が二の丸に移ったが、それ以降に廃絶されたとみられる。金沢城の庭園としては寛永11年(1634)に造られた玉泉院丸の庭園や延宝4年(1676)の兼六園(旧蓮池庭)が知られているが、今回発見された庭についての明確な文献史料は見つかっていない。
▼金沢城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
 http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/index_j.htm
 http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/gallery.htm
2008/11/03(Mon)熊本日日新聞 鞠智城(熊本県山鹿市):青銅製の百済仏像が国内で初出土
 国の史跡にも指定されている古代山城である鞠智城で、国内では初めてとなる青銅製の百済仏像が出土した。出土位置は貯水槽遺構の北側池尻付近で、文化庁や仏像研究者によると仏像の大きさ、顔や天衣の特徴やほぞの形状などから、650〜675年頃の百済製菩薩立像と鑑定した。韓国でも十数例しか出土しておらず、身分の高い百済人の所持品である可能性が高いという。発掘調査責任者の県立装飾古墳館の大田館長によると、古代山城と百済の関係を立証する発見であり、貯水池で何らかの祭祀に使ったのではないかと推定している。
▼鞠智城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/
 http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuka/kanko/kikuchijyo2003/kikuchijyo2003.html
 http://www16.ocn.ne.jp/~sironoki/200fukuokaigai-no-shiro/217kikuchi03/kikuchi003.htm
2008/11/02(Sun)毎日新聞 秋田城(秋田県秋田市):発掘調査現地説明会開催
 秋田城の発掘調査を行っている秋田市教育委員会は、発掘調査結果の現地説明会を行った。秋田城は奈良時代から平安時代にかけて朝廷が東北地方の支配のために置いた拠点の一つで、調査は今回が93回目となる。今回の調査で見つかった奈良から平安時代のものと推定される道路跡などが公開され、70人ほどが集まった。同市教育委員会によると、南大路は今回の発掘地点よりもやや東にあると思われ、来年度も発掘調査を継続する。
▼秋田城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/ac/Default.htm←秋田城跡調査事務所のサイト
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/touhoku/akita/akita.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/touhoku/c-1-3-2-5-siro-AKITA.html