| 2008/10/31(Fri)岩手日日新聞 花巻城(岩手県花巻市):三の丸で園地や洗い場を確認 |
| 花巻城三の丸の発掘調査を行っている花巻市教育委員会は、今年度の調査結果をまとめた。江戸時代の絵図によると三の丸には武士が住んでいたとされ、今年度の発掘調査によって、園地や洗い場が確認されたほか、手桶、陶磁器片や古銭などが出土した。安政3年(1856)頃の花巻城絵図によると戸田本蔵屋敷とされ、園地の一部や溝跡、柱穴跡、排水路などの戸田氏の屋敷時代と考えられる遺構や遺物が出土した。園地には約60個の川原石を池の壁に組むなど、手の込んだ造りで、近くには柱で囲んだ洗い場も確認された。12個確認された柱穴のうちで礎石があったのは2個だけで、残りは掘立柱建物であったと考えられた。調査を行った東和ふるさと歴史資料館の瀬川館長によると、武家屋敷の姿を偲ばせているが柱穴の数が少なく、屋敷のすべてが分かったわけではないという。 ▼花巻城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkaka/sansaku/sansaku_top.htm http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/iwate/hanamaki/hanamaki.html http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/hanamaki/hanamakizyou.html |
| 2008/10/29(Wed)河北新報 若林城(宮城県仙台市):最大規模の建物跡が出土 |
| 伊達政宗が晩年を過ごした若林城の発掘調査を行っている仙台市教育委員会は、最大規模の建物跡を発見したと発表した。この建物跡は政務を行ったとされる表御殿の一部で、若林城のほぼ中央に位置する。母屋部分の東西23.6m×南北12.8mの建物と、北西側に東西8.9m×南北10.8mが接する構造とみられた。建物の西側にあるL字型の建物よりも広いことから、表御殿の中心的な建物と推測された。また調査場所の北東側からはL字型の塀の後も発見され、表御殿とは区分けされた「奥」があった可能性が高いとみられた。若林城にあった建物は廃城とともに仙台城二の丸などに移築されたことが分かっているが、今回発見された建物が移築されたかどうかは文献などでは確認されていない。若林城があったところは現在宮城刑務所となっており、その改築にともなって平成16年(2004)度から発掘調査が行われている。 ▼若林城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.stks.city.sendai.jp/citizen/WebPages/wakachu/joho/j001.html http://homepage2.nifty.com/nanbu_hachinohe/kojo_miyagi/wakabayasi.html http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/wakabayashi/1.html |
| 2008/10/28(Tue)中国新聞 吉田郡山城(広島県安芸高田市):麓から初めて石垣が出土 |
| 毛利元就の居城として知られる吉田郡山城の発掘調査を行っている安芸高田市教育委員会は、郡山城の麓から16世紀後半のものとみられる石垣などが出土したと発表した。郡山城の麓で石垣が発見されたのは初めてで、同市教育委員会は城の全容を知る貴重な発見としている。石垣などが発見されたのは郡山城の南側の山麓で、市街地からわずか30mほどの高さのところであった。この石垣は加工された石を積んだ切石積みで、幅7m×高さ1.2mであった。この部分は二段の曲輪となっており、石垣が積まれていたのは最下部にあたる。この部分は元就の孫にあたる輝元によって拡張されたものと考えられ、同市吉田歴史民俗資料館によると「平地近くまで広がっていたのは予想外で、毛利氏の勢いを示すもの」としている。 ▼吉田郡山城については、下記サイトを参考にしてください。 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-8-10-siro-KOORIYAMA.html http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yosidakoriyama.htm http://www.geocities.jp/zanyphenix/shiro190.html |
| 2008/10/27(Mon)京都新聞 伏見城(京都府京都市):指月城のものと思われる堀と石垣が出土 |
| 近畿財務局の公務員宿舎の整備にともなって、伏見城跡、桃陵遺跡の発掘調査を行っている西近畿文化財研究所は、豊臣秀吉が隠居城として築いた指月城のものと思われる堀や石垣の一部を初めて発見したと発表した。今回発見された堀は東西の幅約16m×南北の長さ約11m×深さ2.2mで、西側の護岸には石垣が確認された。堀底からは金箔を張った煙管も見つかり、秀吉の黄金趣味を窺わせた。さらに、高麗政治の茶托や16世紀後半の陶磁器なども出土した。秀吉は文禄元年(1592)に自身の隠居城として指月城を築いたが、4年後に慶長大地震で倒壊している。今回見つかった堀は慶長以降の城下町絵図などには記載されていないことから、慶長以前に建てられた指月城の堀と推測された。 ▼伏見城、指月城については、下記サイトを参考にしてください。 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kinki/fusimi/fusimi.htm http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kinki/fusimi.html http://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/siro5/fushimi/index.html |
| 2008/10/24(Fri)読売新聞 福島城(青森県五所川原市):掘立柱建物跡を確認 |
| 福島城の発掘調査を行っている青森県教育委員会は、大規模な掘立柱建物跡を確認したと発表した。福島城は14世紀から15世紀前半に十三湊一帯を支配した安藤氏が築いたといわれ、今回の建物跡は武士が儀礼的な場所として使ったのではないかとみられる。さらに福島城の北にある山王坊遺跡でも仏教施設とみられる礎石建物跡が確認され、いずれの時期も交易で栄えた十三湊の最盛期とほぼ一致しており、強大な水軍を率いたとされる安藤氏の隆盛を裏付ける貴重な発見とみられる。今回調査が行われたのは福島城の内郭部分で、板塀で囲まれた区画内に大規模な2棟の掘立柱建物跡などが確認された。最大の建物跡は14m四方あり、京都の上級屋敷の主殿を特徴付ける「中門廓」という空間が西側にあり、古代の寝殿造りから中世の書院造りに変わる過渡期の建築様式と推測された。渡り廊下で3つの空間をつなげた建物跡や、身分の高い武士が使用した高級な硯、茶道具、珠洲焼のすり鉢なども出土した。 ▼福島城については、下記サイトを参考にしてください。 http://go-kankou.jp/miru_manabu/shiseki.html http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/02_009.htm http://www002.upp.so-net.ne.jp/tennen/aomori/gss-a008.htm |
| 2008/10/24(Fri)河北新報 多賀城(宮城県多賀城市):政庁創建時の石垣を発見 |
| 国の特別史跡に指定されている多賀城の発掘調査を行っている宮城県多賀城跡調査研究所は、多賀城政庁跡外側から政庁創建時の8世紀前半頃の南辺と西辺の石垣の一部を発見したと発表した。この石垣が見つかったのは政庁跡南側に続く政庁南面地区で、高さ1〜2mと推定され、長さは南辺で約2m、西辺で約4mであった。以前にも南辺の石垣と推測される遺構が発見されており、今回の発見で政庁外側に石垣が築かれていたことがほぼ確実となった。また、外郭南門周辺の田屋場地区では外郭南門跡の南に延びる幅約18〜25mの南北大路跡が確認され、この南北大路跡は南側ですでに一部が発見されており、位置関係から今回の発見部分と一直線につながることも明らかとなった。同研究所の吉野副主任研究員によると、「石垣は政庁を造営する際の計画性の高さを示し、蝦夷の反乱を鎮圧した後に国府が置かれた多賀城を強固にする意味合いがあったのかも知れない」という。 ▼多賀城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/index.html http://www.thm.pref.miyagi.jp/tagajyo/index.html http://www.bashouan.com/piTagajou.htm |
| 2008/10/23(Thu)河北新報 新田柵(宮城県大崎市):上級役人の執務室とみられる建物跡を確認 |
| 新田柵跡の推定値とされている大崎市田尻八幡で発掘調査を行っている大崎市教育委員会は、昨年発掘された8世紀中頃の掘立柱建物跡は四方が廂に囲まれた格式の高い建物であることが分かったと発表した。同市教育委員会では、四方の廂は建物の重要性を裏付けており、上級役人が執務に使った可能性があるとしている。柱を据えた溝の近くには「床塚」があり、建物や廂の下には床板が張られていた。なお、建物の規模が南北9m×東西12.6mであることも判明した。また、8世紀前半から中頃に建てられたと思われる掘立柱建物跡2棟なども確認された。新田柵は奈良時代の政治や軍事の拠点として東北地方にいくつか置かれた城柵の一つで、同市教育委員会は城柵の政庁跡や外郭などの全体規模を把握して、国の史跡指定を目指す。 ▼新田柵については、下記サイトを参考にしてください。 http://www7.plala.or.jp/t-aterui/miyagi/m-hanasimayama2.htm http://homepage1.nifty.com/akabeko/tajiri.htm ▼今回の発掘調査結果の現地説明会資料は、下記サイトで入手できます。 http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/gen-setu2008/gen-setu-siryo2008.html |
| 2008/10/23(Thu)中日新聞 小野城(三重県亀山市):新たに道路跡4本が見つかる |
| 亀山市小野町にある小野城の発掘調査を行っている三重県埋蔵文化財センターは、新たに道路跡4本が見つかったと発表した。今回の道路跡は、昨年度の調査で見つかった道路跡に続くもので、最大で幅3m×長さ170mの規模であった。調査値の南側の城中心部に向かう溝や、道路そこに不揃いの穴が連続する「波板状凹凸面」なども同時に確認された。小野城の西約2kmにある亀山城主関森貞が永正年間(1504〜21)に築いた正法寺山荘につながる道であった可能性があるという。 ▼小野城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/ono.html |
| 2008/10/22(Wed)読売新聞 水城(福岡県大野城市):木樋埋める溝を確認 |
| 国の特別史跡に指定されている水城の発掘調査を行っている太宰府史跡調査研究指導委員会は、水を通す木製の管「木樋」を埋めるために掘った溝(掘形)を確認したと発表した。九州歴史資料館が今年2月に掘形の一部を発見したために、木樋の確認に向けて調査を行っていたが、木樋の出土には至らなかった。同委員会は「築城過程で計画が変更された可能性が高く、今後の調査課題」としている。今回確認された掘形は深さ約1.3m×長さ約1.5m×底面の幅約4m×上面の幅約7.2mで、底面には木樋が沈まないように枝葉を敷き詰めた「敷粗朶」も確認された。また同委員会は、昨年3月に大野城北石垣門から出土した「鉄製軸受け金具」を分析した結果、国産の鋳造鉄製品としては最古のものである可能性があるとしている。11月8日(土)10時から、現地説明会が開催される。 ▼水城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/40mizuki.html http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/archive/2007/02/23 http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/mizuki/mizuki1.html |
| 2008/10/16(Thu)岩手日報 九戸城(岩手県二戸市):二ノ丸の発掘調査で幼児の頭骨が出土 |
| 国の史跡に指定されている九戸城の発掘調査を行っている二戸市教育委員会は、二ノ丸から幼児の頭骨が出土したことを明らかにした。年代や背景は不明であるが、出土状況から城郭時期のものとみられる。九戸城は天正19年(1591)に豊臣秀吉軍に攻められて落城しているが、その際には女性や子供までが殺されたといわれ、そのときの犠牲者である可能性もある。見つかったのは地表から1mほどの土坑の底部で、ほかの骨は見つからずに頭骨だけを埋めたような形跡があった。なお、平成7年(1995)に今回の場所から南に50mほどの円形土坑墓から首のない人骨が十数体見つかっており、放射性炭素による年代測定で落城時のものと推定されている。 ▼九戸城については、下記サイトを参考にしてください。 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/touhoku/kunohe/kunohe.htm http://homepage2.nifty.com/nanbu_hachinohe/kojo_iwate/kunohe.html http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/tohokuHP/kunohe.htm |
| 2008/10/11(Sat)神奈川新聞 小田原城(神奈川県小田原市):北条時代の最大級の堀が出土 |
| 北条時代の小田原城の中心部があったとされる県立小田原高校旧校舎跡地の発掘調査を行っているかながわ考古財団は、北条氏が造成したとみられる小田原城最大級の堀である「西曲輪西堀」の一部を発見し一般に公開した。今回見つかった堀は幅約23m×深さ約7mで、北条氏の城郭に特徴的な障子堀(幅約4m)も初めてはっきりと確認できた。小田原城を描いた江戸時代初期の絵図にもこの堀は記載されており、全長は160mほどあったと考えられる。この堀以外にも、「堀」と「本曲輪北堀」の一部も新たに見つかり、同財団がこれまでに確認した堀は全部で6つとなった。この堀は工事のために今月下旬にも埋め戻される予定で、同財団ではそれまでに見学会を検討している。 ▼北条時代の小田原城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/odawaraHP/odawara.htm http://homepage3.nifty.com/azusa/kanagawa/odawarajou.htm http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Kanagawa/Odawara/Odawara2.htm http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/historic/s-odawarazyou.html |
| 2008/10/10(Fri)毎日新聞 尿前の関(宮城県大崎市):新市誕生の狭間で貴重な石組みが生きず |
| 尿前の関は寛文10年(1670)に仙台藩と出羽国を結ぶ出羽街道中山越えの基点に設けられたもので、旧鳴子町文化財保護委員会によって切石組みが残っていることを確認していた。現在残っている石組みは長さ約38m×高さ1.8mで、荒尾川と大谷川の合流点に面した旧関所の敷地内に残っている。城郭研究者によると、「谷落とし積み」と呼ばれる高度な技術を用いたものという。鳴子町は史実に基づく整備構想を持っていたが、平成18年(2006)に鳴子町は古川市や岩出川町と合併して大崎市となり、新市誕生の狭間で貴重な石組みは草むすままとなっている。 ▼尿前の関については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.bashouan.com/pwNaruko.htm http://www.livedo.net/tabi/63.html http://home.k00.itscom.net/seihou/hosomichi1/sitomae/sitomae.htm |
| 2008/10/10(Fri)毎日新聞 堀越城(青森県弘前市):二之丸外堀を初めて発掘調査 |
| 堀越城の発掘調査を行っている弘前市教育委員会は、今年度の発掘調査結果を発表した。今年度は二之丸外堀を初めって調査し、漆椀や下駄などの木製品、中国産の陶磁器など2千点近くが出土した。堀越城は津軽藩祖となる津軽為信らが慶長16年(1611)に弘前城に移るまでの約17年間居城したところで、今回出土したものは弘前城に移る際に廃棄したものではないかとみられる。 ▼堀越城については、下記サイトを参考にしてください。 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/touhoku/c-1-3-2-6-siro-HORIKOSHI.html http://homepage2.nifty.com/nanbu_hachinohe/kojo_aomori/horikosi.html http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/tohoku/aomori/horikosi.html |
| 2008/10/08(Wed)中日新聞 高崎城(群馬県高崎市):幅25mの大規模な堀跡を確認 |
| 高崎城の発掘調査を行っている高崎市教育委員会は、本丸で幅25mにもおよぶ大規模な堀跡が出土したことを明らかにした。高崎城の発掘調査は昭和60年(1985)から20年以上も行われているが、本丸の堀跡が確認されたのは初めてである。今回堀跡が出土したのは、同市が計画している医療保健センター・新図書館(仮称)の敷地で工事に先立って発掘調査が行われていた。この堀跡は初代高崎藩主の井伊直政が慶長3年(1598)頃に築城した当時に近い形状とみられ、位置や形状などは複数存在する高崎城絵図とほぼ一致していた。現時点で確認されているのは長さ約30m×深さ約4mだが、もっと長く、深さも6mほどはあるとみられる。高崎城は三の丸の土塁や堀などのごく一部が残るのみで、これまでよく分かっていなかった本丸の状況を明らかにするものと期待されている。今回の発掘成果は年内に現地説明会で公開する予定だが、現在は立入禁止となっている。 ▼高崎城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Gunma/Takasaki/index.htm http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-4-4-siro-TAKASAKI.html http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kantou/takasakijyo.htm |
| 2008/10/07(Tue)毎日新聞 萩城(山口県萩市):修理のために石垣を解体 |
| 国の史跡に指定されている萩城で昨年10月に見つかった石垣の崩落について、このほど修理のための石垣解体作業が始まった。崩落したのは時打矢倉跡の石垣の一部で、自然崩落とみられている。萩市教育委員会によると、今年度は石垣の解体を行った上で積み直し方法の検討を行い、次年度に崩落前の姿に復旧するとしている。 ▼萩城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/kojyo/kojyo-hagi.htm http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/chugoku/hagi/hagi.htm http://www.geocities.co.jp/yogo139/saigoku/hagijsi.htm |
| 2008/10/07(Tue)毎日新聞 織田信長居館(岐阜県岐阜市):槻谷で石垣と溝を確認 |
| 岐阜公園内の織田信長居館跡を探している岐阜市教育委員会は、金華山ロープウェイ東側の奥にある槻谷(けやきだに)で石垣と溝を確認したと発表した。今回発見されたのは三段になった土地の上段で、南側で石垣が、西側で川原石を詰めた石組みの溝を確認した。溝に囲まれた部分に茶室があったとみられ、その下で昨年見つかった建物跡が居館だった可能性が高いと考えられた。ルイス・フロイスの日本史には「広間の廊下は15か20の座敷へ至る。2階は奥方と侍女の部屋、3階から山側へ通じる茶の座敷がある。3、4階の見晴台から街の全体が見える」と記述されており、同市教育委員会では上段の建物が「3階から山側へ通じる茶の座敷」ではないかと推測している。 ▼織田信長居館跡については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/←発掘の状況が分かります。 http://www.siromegu.com/castle/gifu/nobunagayakata/nobunagayakata.htm http://isekinotabi.com/japan/nobunaga_yashiki.html |
| 2008/10/06(Mon)函館新聞 五稜郭(北海道函館市):正門の門番所の礎石が出土 |
| 箱館奉行所の復元工事が進められている五稜郭(国指定特別史跡)で、発掘作業中に正門の門番所の礎石が発見された。出土したのは正面入口の本塁石垣の間で、明治7年(1874)に描かれた図面どおりの場所に7個埋まっていた。さらに門番所の敷地内だったと考えられる場所から、箱館戦争で新政府軍が函館湾から放ったと思われる大砲の先端部も見つかった。門番所の礎石は30cm角で、1間間隔で一列に並んでいた。並行にもう一列あるはずものは、のちにツツジを植栽したときに取り去られたとみられる。正門は二の橋を渡ったところから門番所までの数十mのどこかにあると推測されているが、場所は特定されていない。今回の礎石などの保存については、文化庁と協議して決める。 ▼五稜郭については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.tamahito.com/hakodate/goryokak.htm http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/goryoukaku.htm http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2903/goryoukaku.htm |
| 2008/10/06(Mon)毎日新聞 松江城下町遺跡(島根県松江市):考える会などが遺構見学会を開催 |
| 松江市が歴史両館建設を計画している松江城下町遺跡家老屋敷跡で、「城下町松江の景観と町づくりを考える会」など4団体が遺構見学会を開催した。新たに遺構が見つかったことで松江市が22cmの盛り土をして建設することを決定したことから開催され、170人ほどが参加した。参加者からは「遺構と比べて資料館で展示するものに価値があるのか」などの意見が寄せられ、講演した大阪城天守閣の松尾館長は「池や建物の基礎の大部分が残っているのは珍しく、当時の敷地全体や生活が分かる遺構」と述べた。 |
| 2008/10/04(Sat)熊本日日新聞 熊本城(熊本県熊本市):1月からの入城者数が150万人突破 |
| 熊本市は、今年1月からの熊本城への入場者数が150万人を突破したと発表した。本丸御殿大広間の復元など築城400年祭を記念した事業が追い風となって、8月には昨年の年間入城者数121万人を突破した。同市熊本城総合事務所によると、過去最高は昭和40年(1965)度の176万人だが、このペースで行くと過去最高を更新する可能性もある。 ▼熊本城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/←熊本城の公式サイト http://www.kumamotonet.jp/siro/ http://www.adsccat.co.jp/kumamotojoh/←復元計画の紹介 |
| 2008/10/04(Sat)岩手日報 志波城(岩手県盛岡市):城跡愛護協会がオリジナル絵葉書を発売 |
| 盛岡市の古代城柵で国の史跡にも指定されている志波城古代公園を管理する志波城跡愛護協会は、県内外に広くPRするためにオリジナルの絵葉書を発売した。志波城を復元整備した同公園の来園者は年間1万人ほどあり、そのうち県外からがほぼ半数を占めている。以前からお土産品の設置を求める声が多く、それに応えるかたちで同会を中心に絵葉書を作った。官衙の復元、外郭南門の写真とイメージイラストの3種類で、公園内の案内所のほかネットの「産直大宮市場」で1枚50円で販売している。 ▼志波城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/bunka/shiwajo/index.html http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/touhoku/c-1-3-2-8-siro-SHIWA.html http://www.geocities.jp/tomokane4/sub/iwate-siwajyou.html ▼産直大宮市場での絵葉書直売については、下記サイトをご覧下さい。 http://www.city.morioka.iwate.jp/dtl/webguide.nsf/($all)/9658AE4689251C30492574C7004C31DD?OpenDocument |
| 2008/10/03(Fri)岩手日報 徳丹城(岩手県矢巾町):古代の官道と見られる道路遺構が出土 |
| 国の史跡に指定されている古代城柵である徳丹城の発掘調査を行っている矢巾町教育委員会は、奈良から平安時代の官道と見られる遺構が見つかったと発表した。徳丹城そのものは9世紀初めに築城されたが、今回見つかった道路遺構はそれよりも古い時代のものとみられた。官道とすれば岩手県内では初めてで、東北地方でも珍しく、国府多賀城以北の官道ルート解明へ貴重な発見となる。見つかった道路遺構は南北方向に並行して3本で、徳丹城の中心部となる政庁のさらに中心となる正殿の西側から見つかった。東北地方では多賀城周辺で幅12mの官道跡が見つかっているが、以北では出土例はない。胆沢城から志波城へ向かう官道があったことは文献から想定されていたが、道路遺構が徳丹城築城よりも古く南北に延びていることから、徳丹城以前に築城された志波城へ向かっているのではないかとの見方も出ている。 ▼徳丹城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.town.yahaba.iwate.jp/siryoukann/09-01-00%20tokutan.html http://www.iwatabi.net/morioka/yahaba/siro.html http://www.pacs.co.jp/pacs/hist_walk/walk_iwate/yahaba_tokutan_cast.htm |
| 2008/10/03(Fri)福井新聞 武田氏館(福井県小浜市):戦国時代の堀の一部を確認 |
| 小浜市男山の旧小浜小学校校庭の発掘調査を行っていた同市世界遺産推進室は、戦国時代の若狭武田氏館跡の堀の一部を確認したと発表した。今回発見の堀は館の西側で、長さ6m×深さ2.6m×幅5mの規模であった。また高さ2mの石垣も確認されたが、下から50cmほどのところで積み方が変わっていた。堀の位置は文献などで推測されていた位置とほぼ一致し、100m四方で館を囲んでいたものと考えられた。若狭武田氏は安芸武田氏の分かれで、室町時代に武田信栄が若狭守護職となったことに始まる。館は大永2年(1522)に後瀬山城を築いた武田元光が造営したと伝わり、石垣は天正2年(1574)から若狭を統治した丹羽長秀の時代に築かれたと推測された。また、堀が見つかった場所から北30mほどの地点の試掘によって、石垣の延長が確認された。これまで文献や地形図で推定されていた館の存在が確認されたことで、小浜市では国指定史跡の後瀬山城跡の指定範囲拡大を目指す方針である。 ▼武田氏館と後瀬山城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/fukui/notiseyama.html http://www.siromegu.com/castle/fukui/notiseyama/notiseyama.htm http://www.oumi-castle.net/takoku/fukui/notise.html |
| 2008/10/03(Fri)河北新報 多賀城(宮城県多賀城市):名前の由来は中華思想と国歴博館長が新説 |
| 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の平川館長は、古代に国府の置かれた多賀城の名前は「自らが最も進んだ民族で周辺諸国は遅れているとする中華思想の影響を受けている」との独自の新説を唱えている。多賀城市教育委員会によると、多賀城という名前の由来はこれまで謎とされ、今回の新説は画期的な考察という。平川館長によると、古代中国の鏡に異民族を平定し国家安寧を願う銘文があって、その中にある「多賀国家人民息」の文字から命名したという。多賀城同様に「遠の朝廷」と称された太宰府の由来が、かつての中国の官名であることなどに注目した結果である。「東北地方の行政、軍事全般を統括し、蝦夷対策の拠点となった」多賀城も、中華思想に基づいて命名されたと理解できるとしている。古代東北の胆沢城、桃生城や秋田城などが地名から名付けられた城柵であることの違いも、強調している。 ▼多賀城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.thm.pref.miyagi.jp/tagajyo/kaisetu.html http://www.bashouan.com/piTagajou.htm http://www.miyatabi.net/miya/tagajyou/siro.html |
| 2008/10/02(Thu)河北新報 盛岡城(岩手県盛岡市):来年2月末まで石垣をライトアップ |
| 盛岡城のある岩手公園で、10月1日から石垣のライトアップが始まった。20年目の恒例行事で、来年2月末まで実施される。点灯時間は11月までは18時から22時まで、12月からは17時から22時までだが、大晦日に限って翌朝6時まで延長される。 ▼盛岡城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.city.morioka.iwate.jp/09tosi/koen/midori/iwate.html http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/touhoku/morioka/morioka.htm http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/shiro/contents/morioka.html |
| 2008/10/01(Wed)中日新聞 三枝城(岐阜県高山市):居城ではなく峠の監視用 |
| 高山市上切町にあった戦国時代の三枝城の調査を行っている岐阜県文化財保護センターは、居城ではなく、当時主要道であった寿美峠の監視と合戦時の避難用だったとする調査結果を発表した。三枝城は16世紀後半に飛騨を治めていた三木氏の城とされ、背後に同市国府町に抜ける寿美峠がある。これまでの調査で城の中心部の曲輪が見つかっていたが、今年5月からの発掘調査で新しい曲輪3ヵ所が見つかった。14世紀後半から5世紀後半の皿などの破片5点が見つかったが、16世紀の遺物は見つからなかった。さらに曲輪跡からは、こぶし大ほどの石を集めた穴も見つかった。こうしたことから、三木氏は三枝城では生活しておらず、寿美峠の監視やいざというときの詰め城だったと結論した。 ▼三枝城については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.geocities.jp/heavenryo/hidasiro/mieda/mieda.html |
| 2008/10/01(Wed)毎日新聞 柳之御所(岩手県平泉町):外から内へ堀を作り替えて同時代には存在せず |
| 国指定史跡である柳之御所遺跡の発掘調査を行っている平泉町教育委員会は、今年度の調査結果を発表した。それによると、これまで外堀と内堀は同時代に存在していたと考えられてきたが、時代の変遷にともなって外側から内側へと造り替えがあったことが判明した。外堀と内堀は同遺跡の南端部で伽羅之御所に接する部分にあり、地層調査の結果、外堀を埋めて溝か堀を造り、そのあとに内堀が造られた跡を確認した。年代については特定できなかったが、同町生涯学習文化課は「造り替えの理由は歴史学的調査が必要となるが、同時期に存在した二重堀ではないことから、防御性など遺跡の特色を考察する重要な手がかり」になるとしている。また、藤原秀衡が建立した無量光院跡の調査では、西側土塁の裾から溝が発見され、池への導水路の可能性が高いとしている。柳之御所は奥州藤原氏の初代清衡、二代基衡の政庁の跡で、平泉町では史跡整備に向けた資料収集のために平成10年(1998)から発掘調査を行っている。 ▼柳之御所については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.bashouan.com/ptPhoto5.htm http://www.hiraizuminews.jp/bunkaisan_4.htm http://www.pref.iwate.jp/~hp0909/ |