2008/09/29(Tue)函館新聞 館城(北海道厚沢部町):多量の炭化米が出土
 国の史跡にも指定されている松前藩が築いた館城の発掘調査を行っている厚沢部町教育委員会は、米倉跡とされるところから多量の焼け焦げた米が出土したと発表した。米倉跡は城内の北東部に位置し、地表から数センチ程度のごく浅いところから出土した。付近では広範囲に土壌も赤く焼けており、相当の高温が長時間続いたと見られる。館城は明治元年(1868)にわずかひと月で築城されたが、旧幕府軍の攻撃で落城・炎上した。今回出土した炭化米は、そのときのものと考えられる。同町教育委員会では平成17年(2005)から遺構の保存管理計画の策定や史跡公園の整備に向けた発掘調査を行っており、南西部からは堀、土塁や柵列などの遺構を確認している。
▼館城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/hokkaido/tatejou.html
 http://castle.slowstandard.com/post_481.html
 http://homepage1.nifty.com/t-kubo/siro/dounai/tate.htm
2008/09/28(Mon)毎日新聞 前田砲台(山口県下関市):世界文化遺産の暫定リスト入り
 世界文化遺産登録を目指す「暫定リスト」が文化庁から発表され、下関市や萩市などが出していた「九州・山口の近代化産業遺産群」が選ばれ、この中で幕末の砲台(台場)として初めて前田砲台がリスト入りした。前田砲台は幕末の長州藩が関門海峡を望む高台に築いたもので、青銅製の大砲である「長州砲」20門を備えた主力砲台であった。当時攘夷を掲げていた長州藩は文久3年(1863)に関門海峡を通過するアメリカ、フランスやオランダの船を砲撃したが、逆に報復を受けて砲台も占領・破壊された。いわゆる馬関戦争(下関戦争)である。平成11年(1999)から平成14年(2002)にかけて行われた発掘調査で、土塁や大砲が設置されていた平坦面などが確認されている。
▼前田砲台については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/bakumatsu/bakansenso/bakan2.htm
 http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/ishinshi/topics04.html
 http://plaza.rakuten.co.jp/ryo33714/diary/200712310001/
▼日本の世界文化遺産については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.unesco.jp/contents/isan/jlist.html
2008/09/28(Mon)毎日新聞 二条城(京都府京都市):11月24日までお城まつりを開催
 京都市などの主催で11月24日まで開催される「二条城お城まつり〜AUTUMN FESTA2008〜が、9月27日に始まった。このお祭りでは、火縄銃や放鷹術の実演やクラシックコンサートなどさまざまな催し物が行われる。また、10月5日までの土日には、抽選で人力車に乗ることも出来る。入場は8時45分から午後4時までで、料金は600円である。
▼二条城お城まつりの詳細については、下記二条城の公式サイトをご覧下さい。
 http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
2008/09/27(Sat)毎日新聞 明石城(兵庫県明石市):武家屋敷跡から「ほのぼの焼」窯跡を確認
 明石城武家屋敷跡の発掘調査を行っている明石市教育委員会は、「ほのぼの焼」と呼ばれる明石焼の窯跡の一部を確認したと発表した。明石焼は幕末から明治初めにかけて盛んだったもので、今回の窯跡も明治時代の地層から見つかった。素焼きの陶器や破片約400点が出土するとともに、焼成台などの窯道具も見つかっていることからほのぼの焼の窯跡で隣接地に登り窯が存在していたと推測している。同市教育委員会では、幕末から明治にかけて盛んだった明石焼の生産実態を知る上で貴重な史料になるとしている。
2008/09/27(Sat)毎日新聞 小谷城(滋賀県湖北町):10月5日に「小谷城ふるさと祭り」開催
 浅井氏三代の城として名高い小谷城で、10月5日に「第23回小谷城ふるさと祭り」が開催される。場所は湖北町郡上の小谷城戦国歴史資料館前広場で、国友鉄砲隊の実演、手作り甲冑による武者行列や武術実演などで、午前9時半の開会にあたっては朝倉氏遺跡保存会などによる太鼓演奏もある。また湖北町が定めたいわゆるゆるキャラである「茶々姫」も、この祭りでお披露目される。
▼小谷城ふるさと祭りの詳細については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.biwako-visitors.jp/search/event_3773.html
▼小谷城戦国歴史資料館については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.town.kohoku.shiga.jp/rekisiindex.htm
▼小谷城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/odani.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kansai/Shiga/Odani/index.htm
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/odani.htm
2008/09/26(Fri)毎日新聞 上ノ村遺跡(高知県土佐市):野中兼山が手掛けたと見られる石積み遺構を発見
 波介川河川導入事業にともなって土佐市新居の上ノ村遺跡の発掘調査を行っている高知県埋蔵文化財センターは、野中兼山が手掛けたと思われる石積みの河川護岸遺構が見つかったと発表した。中堤防と呼ばれる場所を発掘したところ、大正から昭和初期に造られたとみられる堤防の下から17世紀中頃の石積み遺構が出土した。見つかった遺構は長さ約250mだが、全長は2km以上あると推定される。同様の河川護岸遺構としては昨年宇治川右岸で見つかった「太閤堤」についで、全国的に2例目である。野面積みの手法であることから17世紀中頃のものと思われ、規模の大きさなどから当時の土佐藩家老の野中兼山が手掛けた可能性が高いという。また、全国的にも珍しい長さ約41mの突堤状遺構も見つかった。
▼上ノ村遺跡については、下記サイトを参考にしてください。
 http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~maibun/contents/5_excavation/contents/1_nation/contents/08_1hagegawa.htm
▼太閤堤については、下記サイトを参考にしてください。
 http://sendo.fc2web.com/flame02/20070908taikoudutumi/taikoudutumi.htm
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_02_10.htm
 http://suido-ishizue.jp/nihon/09/04.html
2008/09/26(Fri)毎日新聞 松江城下町遺跡(島根県松江市):歴史資料館の地盤を高くすることで遺構保存へ
 松江城下町遺跡家老屋敷跡に松江市が建設を計画している歴史資料館について、最下層とされていた17世紀初頭の遺構面の下に建物の礎石群が新たに見つかったことで、松江市は地盤を22cm高くして資料館を建設し、遺構の大部分を地下に保存するように計画を変更した。同市教育委員会文化財課によると、地盤を高くすることで新たに見つかった池や礎石などの遺構の約65〜75%が地下に保存できるとしているが、基礎工事の杭やトイレ、機械室にあたる部分は保存できないという。これに対して遺跡の保存と活用を求める島根考古学会は「恒久的建物を建てるのは望ましい保存ではなく、出てきた遺構そのものを見せるような遺構を生かした建物にするべき」としており、幹事会を開いて対応を検討するという。
→以前の計画よりも多少は譲歩した形となっていますが、遺構を破壊してしまうことには変わりはないです。建設するものが歴史資料館ですから、出土した遺構を展示にうまく活用することを考えるべきと思います。こうした例はほかの博物館などでもすでに行われていますので、もう少し考えるべきでしょう。
2008/09/26(Fri)伊勢新聞 伊賀上野城(三重県伊賀市):筒井氏時代の遺構を発見
 昨年度から伊賀市教育委員会が進めていた伊賀上野城の石垣整備事業で、筒井氏時代の石垣などの遺構が見つかった。現在の伊賀上野城は築城の名手とされた藤堂高虎によって築かれたものだが、それ以前の16世紀後半に豊臣秀吉に仕えた筒井定次などの筒井氏による城郭があった。再建された天守東側の高虎時代の石垣の内側から、定次によって築かれたとみられる腰巻石垣とその上を固める土塁が確認された。この石垣は長さ7.3m×幅1.6m×高さ0.9mで、藤堂時代の石垣に比べると一つ一つの石が小さく、また矢穴もほとんど確認されなかった。さらに、出土した瓦のコビキという製作上の痕跡によって、筒井氏時代のものと推察された。調査を行っている同市教育委員会では、「石垣の上に表面を漆喰などで塗った塀があったと考えられ、全国的に見ても珍しい構造」だとしている。
▼伊賀上野城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.ict.ne.jp/~uenojyo/
 http://bekkan.web.infoseek.co.jp/99iga_uenojyo/iga_ueno.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/igaueno.htm
2008/09/24(Wed)朝日新聞 鳥取城(鳥取県鳥取市):太鼓御門跡の発掘調査結果を現地説明会で公開
 国指定史跡である鳥取城の太鼓御門跡の発掘調査を進めている鳥取市教育委員会は現地説明会を開いて、発掘調査結果を公開した。太鼓御門は三ノ丸の手前に設けられ、鳥取城の中心部に向かう重要な門で、時刻を知らせる太鼓があったことから命名された。今回の説明会では8月末から調査が行われている第2調査区を中心に行われ、発掘で見つかった太鼓御門の礎石やその周囲を補強した根固め石などが公開された。鳥取市では昭和34年(1959)から二ノ丸などの石垣修理を進めており、平成30年(2018)を目標に太鼓御門跡を含めた大手登城路を復元する予定である。
▼鳥取城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/totori/tottori.htm
 http://www.burari2161.fc2.com/tottorijyou.htm
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/tottori/tottorisi.htm
2008/09/21(Sun)中国新聞 加陽和泉守居館(山口県岩国市):見つかった石組みを現地説明会で公開
 中世の築造とみられる加陽和泉守居館跡の発掘調査を行っていた岩国市教育委員会は今年度の調査を終了して、現地説明会を開いた。今年度の調査は居館跡に残る土塁の地下部分で、新たに室町時代の茶碗や鍋などの陶磁器約百点が出土した。また地下部分で見つかった複数の石組みについては、中州に位置するために護岸の役割を果たしたのではないかと推察された。加陽和泉守は毛利元就の家臣で、土塁の残存状況も良好で山口市の大内氏館などに匹敵する規模ではないかとみられている。
2008/09/18(Thu)毎日新聞 会津若松城(福島県会津若松市):企画展「会津松平家と戊辰戦争」で泣血氈を一般公開
 20日から鶴ヶ城天守閣で始まる企画展「会津松平家と戊辰戦争」で、泣血氈が公開される。会津戊辰戦争では一ヶ月にわたり鶴ヶ城(会津若松城)に籠城したが、最終的に開城した。降伏調印式は城外甲賀町通の路上で行われたが、式場には15尺四方の緋毛氈が引かれ、松平容保・喜徳父子が降伏文書に調印した。このとき会津藩士はこの無念を忘れないようにと、毛氈を小さく切り刻んで持ち帰ったといわれ、のちに「泣血氈」と呼ばれるようになった。1m四方ほどの大きさとなった本体は長く家老の内藤家に保管されていたが、平成11年(1999)に会津若松市に寄贈された。
2008/09/17(Wed)下野新聞 鹿沼城(栃木県鹿沼市):中世の堀跡を確認
 鹿沼市中央小学校の改築工事にともなって鹿沼城の発掘調査を行っている鹿沼市教育委員会は、現地説明会を行って確認された堀跡などを公開した。鹿沼城は鹿沼氏および壬生氏の居城とされる中世城郭で、一城別郭の平山城として県内屈指の大きさを有している。発掘調査が行われた中央小学校付近は御殿跡とされ、戦国時代には壬生氏の館、近世では陣屋あるいは将軍の日光社参の際の殿舎があったとされている。今回確認された堀跡は東西54m×深さ1.8〜2.5mで、端がほぼ直角に折れ曲がるコの字型であった。覆土の堆積状況からは、堀と並行する土塁の存在も考えられた。堀からは完全な形のかわらけが多数出土したほか、内耳土器や古銭なども見つかったが、これらの遺物から堀は15世紀後半から16世紀に造られたものと考えられた。
▼鹿沼城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/totigi_kitaHP/kanuma.htm
 http://marie.saiin.net/~tochigi-castle/kanuma.htm
 http://members.at.infoseek.co.jp/pinefield/castle-kanuma.html
2008/09/13(Sat)毎日新聞 松江城下町遺跡(島根県松江市):時期がさかのぼる新たな遺構が出土
 松江市が歴史資料館の建設を予定している松江藩家老屋敷跡の発掘調査を行っている同市教育委員会は、時期がさかのぼる新たな礎石群が出土したと発表した。現在出ている地盤が築城時の造成地盤と同じ赤土だったために堀尾初期の最終面と判断していたが、島根県の指示で補足調査したところ、40cm下で5個の礎石を発見した。この面からも松江城築城から三代続いた堀尾家の初期の陶磁器が検出されたことから、堀尾時代の短期間に二度の造成があったこととなる。今後の調査方法については県と協議して決定されるが、松江市では平成22年(2010)秋の開館スケジュールを優先する考えを示している。
→松江市では遺構を全面的にはぎ取る方針を変えていないが、多くの関係者から指摘されているように遺構というのはそこにあってこそ意味のあるものである。ましてや建設するのが歴史資料館では、本末転倒というものではないでしょうか。何か、福山城外堀遺構の混乱が再現されそうな気がします。
松江城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/m_castle.htm
 http://www.city.matsue.shimane.jp/kankou/area/matsue/034.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/matue/matue.htm
2008/09/12(Fri)毎日新聞 勝瑞城(徳島県藍住町):町が整備事業の概要を発表
 藍住町教育委員会は、国指定史跡勝瑞城館跡の整備事業の概要を発表した。現時点で確認されている遺構の状況に応じて地区別に整備を行い、枯山水庭園や主殿、池庭などを復元する。同教育委員会は、「全国的に誇れる史跡で、歴史を身近に感じてもらえる公園にしたい」としている。勝瑞城は戦国時代に阿波の実権を握っていた三次氏の居館跡と推定され、昨年まで約10年にわたる発掘調査で庭園や会所の跡に加えて池庭や主殿跡も発見されている。
▼勝瑞城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/←藍住町による公式サイト
 http://homepage3.nifty.com/oshironiikou/shirobetu%20syouzui.htm
 http://www.siromegu.com/castle/tokusima/syozui/syozui.htm
2008/09/12(Fri)高知新聞 加久見城(高知県土佐清水市):発掘調査で新たに家臣団屋敷を確認
 加久見城館遺跡群の発掘調査を行っている土佐清水市教育委員会は、加久見氏家臣団の屋敷と思われる遺構を確認したと発表した。これまで調査が行われていなかった蛙田地区から中国製の白磁や石仏などが出土し、中国から輸入されたと見られる天目茶碗も見つかった。天目茶碗は一般の集落からは出土しないため、家臣が加久見氏から拝領したものと思われた。同教育委員会は、「加久見氏の遺跡の広がりは予想以上」としている。
2008/09/10(Wed)東京新聞 小山古城(栃木県小山市):市内に二つの「小山評定」の場所
 関ヶ原の戦い前に徳川家康が開いた軍議「小山評定」の行われた場所について、地元の神社が新たな小山評定碑の建立を決めた。小山市では昭和39年(1964)に小山評定跡を市の史跡に指定し、昭和57年(1982)には市役所駐車場の一角に「史跡小山評定跡」の石碑を建てている。この根拠は江戸期に書かれた「慶長記」で、「小山古城のうちに三間四方の仮御殿を造らせ、広間に大将衆が集まり・・・」にある小山古城が市役所周辺と推定されることによる。今回新しい碑の建立を決めたのは市役所から300mほど南の須賀神社で、「神社の境内で評定が開かれた」という伝承が代々神社に伝わっていることを根拠としている。評定の際に家康が神社で戦勝を祈願したといわれ、合戦後に家康は社領を寄進するとともに朱印状(市指定文化財)を送っている。小山評定が行われた場所については別の場所を示唆する史料が複数確認されており、特定には至っていないのが現状である。
▼小山評定と須賀神社については、下記サイトを参考にしてください。
 http://marie.saiin.net/~tochigi-castle/hyoujyou,suga.htm
2008/09/09(Tue)中日新聞 勝間田城(静岡県牧之原市):国史跡視野に保存検討会発足
 現在静岡県の史跡に指定されている勝間田城について関連遺跡群の調査や保存に関する検討会が発足し、第1回会合が行われた。検討会は有識者や地元住民ら11人からなり、会長に静岡大学の小和田教授が副会長に国立歴史民俗博物館の小野副館長が選出された。今後の調査および保存については国史跡の指定も視野に入れて、来年度から5年間の予定で城跡を中心に発掘調査を行い、これまでに見つかっていない館の存在などを解明し、牧ノ原台地の中世社会について検証する。勝間田城は15世紀初頭にこの地方の国人領主勝間田氏によって築城された中世山城で、文明8年(1476)の今川義忠による遠江攻めで落城している。また戦国時代には甲斐武田氏の持ち城となり、改修を受けている。
▼勝間田城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/katsuma.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/katumata.htm
 http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/touen/katsumata.j/katsumata.j.html
2008/09/09(Tue)毎日新聞 松江城下町遺跡(島根県松江市):考古学協会が「城下町の形成よく分かる」と評価
 日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の近藤委員長らが松江市の松江城下町遺跡家老屋敷跡を視察し、「きわめてよく残っており、城下町の形成がよく分かる」と評価した。松江市教育委員会に対しては、「歴史性を生かした町づくりの基点にするとともに、時間をかけて調査し、その成果を資料館に反映させる」ように要望した。さらに遺構の一部を切り取って地下展示するという松江市の方針に対して、遺構はそこに置かれていることに意味があるので止めて欲しいと訴えた。
▼松江城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/m_castle.htm
 http://www.city.matsue.shimane.jp/kankou/area/matsue/034.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/matue/matue.htm
2008/09/06(Sat)毎日新聞 三田尻御茶屋(山口県防府市):水琴窟が出土
 史跡萩往還関連遺跡である三田尻御茶屋旧構内(英雲荘)の発掘調査を行っている防府市教育委員会は、明治初めまでに造られたとみられる水琴窟が出土したと発表した。水琴窟の甕は地元の佐野焼で直径約50cm×高さ約50cmで、発掘調査で発見されるのは全国的にも非常に珍しいという。同教育委員会では、古い建物や手水鉢と水琴窟が具体的に残るのは意義深いとしている。また、7代藩主毛利重就が行った大改修(1776〜83)当時の大観楼棟の絵図などに佐野焼が描かれていることなどから、江戸時代後期にまでさかのぼる可能性があるという。三田尻茶屋は長州藩主であった毛利氏が、参勤交代や巡視などの際に宿舎や休憩所として利用するために建てられたものである。
▼三田尻御茶屋については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.bunkazai.city.hofu.yamaguchi.jp/6kinsei/06-11/6-11.html
 http://www2.coresite.ne.jp/hofubunkazai/shousai.asp?id=112
 http://www8.ocn.ne.jp/~siraisik/MITAJIRI.HTM
2008/09/05(Fri)中国新聞 松江城(島根県松江市):来年秋に「重文天守都市会議(お城サミット)」開催
 松江城の現存天守の国宝指定を目指している松江市は、同じように国の重要文化財に指定されている天守を持つ全国7都市を集めた「重文天守都市会議(お城サミット)」を来年秋の開催を計画している。この秋から、同様の重文天守を有する高梁市(備中松山市)、松山市(伊予松山城)、宇和島市(宇和島城)、高知市(高知城)、弘前市(弘前城)、坂井市(丸岡城)および丸亀市(丸亀城)の7都市を訪れ、参加を呼びかける。このサミットでは、城の活用や城下町の観光振興についての議論を行う。
▼松江城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/m_castle.htm
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/matue/matue.htm
 http://homepage2.nifty.com/matsue-jo/contents2Fmenu.html
2008/09/04(Thu)中国新聞 福山城(広島県福山市):県文化財審議会が国史跡追加を
 JR福山駅南の福山城遺構の現地調査を行った広島県文化財保護審議会の史跡・埋蔵文化財部会は、国史跡の追加指定を行うべきであるとの認識で一致した。地上から見える形での遺構の保存・活用策を福山市に求めることも決め、月内にも広島県教育委員会を通じて申し入れを行う。
▼福山駅南の福山城遺構については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.sannomaru.com/ishigaki/
2008/09/03(Wed)中国新聞 上下代官所(広島県府中市):江戸期の石垣が見つかる
 江戸時代に幕府の代官所が置かれ、広島県の史跡にも指定されている上下代官所跡(府中市上下町)の発掘調査を行っている府中市教育委員会は、江戸時代の石垣と石段の一部を初めて確認した。江戸末期に築かれたとみられる今回発見の石垣は、現在の石垣よりも2mほど内側にあり、高さ0.6〜0.8mで6mほどの長さがあった。同時に見つかった石段とともに、明治時代初めに描かれた代官所絵図と一致し、代官所跡のシンボルとなっている現在の石垣は後世に築かれたことが明らかとなった。上下代官所は元禄13年(1700)に置かれ、享保2年(1717)には石見銀山を管轄した大森代官所の出張陣屋となった。
▼上下代官所については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.fuchu.hiroshima.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=1925
 http://www.bes.ne.jp/bingo_e/midokoro/town_jyouge.html
2008/09/02(Tue)岩手日日新聞 柳之御所(岩手県平泉町):平泉遺跡群指導委員会が調査・整備を協議
 今年度第1回の平泉遺跡群指導委員会が平泉町平泉郷土館で開催され、柳之御所遺跡調査・整備や同遺跡ガイダンス施設、平泉郷土館の改修などについて協議した。このうち柳之御所遺跡調査・整備に関して、岩手県教育委員会が平成22年(2010)の暫定公開を目指す同遺跡だけの順路を示したのに対して、「政治の場である柳之御所と浄土をイメージした寺院の無量光院は一体であり、柳之御所遺跡と無量光院跡が猫間が淵を渡って往来できるような両者を合わせた整備が必要」との意見が出された。また同遺跡ガイダンス施設と平泉郷土館については、ハードウェアが先行して展示内容が提示されておらず、具体的な展示のシナリオがないと改修の意味がないとの指摘もあった。
▼柳之御所については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.bashouan.com/ptPhoto5.htm
 http://hiraizumi.or.jp/sightseeing/yanaginogoshoiseki/index.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/touhoku/yanaginogosho.htm