2008/05/31(Sat)京都新聞 本能寺(京都市中京区):シンポジウム「戦国時代の本能寺と織田信長」が開催
 「戦国時代の本能寺と織田信長」と題するシンポジウムが、平安京・京都研究集会の主催で開催された。旧本能寺跡については昨年発掘が進み、本能寺の変にともなう焼けた瓦、境内の一角を画する堀跡や石垣、建物の礎石の据え付け穴、境内南端の堀跡などが相次いで見つかっている。シンポジウムには研究者ら約90人が参加し、「本能寺は上洛の短期的な宿所として使われた」「権力者といえども武士は、天皇に伺候する存在で、屋敷以上のものを京に造れなかった。その点で信長は、中世武士の枠を超えられなかった」などの見解が示されるとともに、発掘調査の結果から「防御性は低い」として城塞との見方が否定された。
▼本能寺については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Tokubetsuhen/Honnouji/index.htm
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/honno-ji.htm
 http://www7.ocn.ne.jp/~rizarion/koko05.html
2008/05/31(Sat)四国新聞 高松城(香川県高松市):天守台の石は庵治雌雄島産か
 史跡高松城跡石垣検討委員会が30日に開かれ、高松市が前年度に行った天守台石垣の解体結果が報告された。石垣に使われていた石は庵治半島や女木、男木両島などの石と同じ成分の石材が多く使われており、築城にあたって地元の石材を優先的に使ったのではないかと同市教育委員会ではみている。天守台の石は花崗岩、玄武岩、安山岩および凝灰岩の四種が使われていたが、このうちの花崗岩の多くは庵治半島にかけて分布する庵治花崗岩と同様の成分であった。なお、天守台の積み直しにあたっては原則として使われていた石を用いるが、解体した石材のうち1割以上が破損のために再利用が不可能なことも分かった。
▼高松城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kaihatu/kouen/ryokuchi/tamamo_park.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takamatu.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage247.htm
2008/05/31(Sat)東海日日新聞 吉田城(愛知県豊橋市):池田輝政の刻印発見
 吉田城鉄櫓北側の石垣で、城主だった池田輝政の刻印が見つかった。この刻印は「三佐内」という輝政の幼名が記されたもので、名古屋城では多く見つかっているが吉田城では初めてである。昨年5月には蒲郡市西浦町稲村海岸で刻印入りの石が見つかっており、吉田城内でも福島正則や蜂須賀小六らの刻印が見つかっている。
▼吉田城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/toukai/yoshida/yoshida.htm
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/oscilloscope/c-yoshida/yoshida.htm
 http://burari2161.fc2web.com/yoshidajyou.htm
2008/05/30(Fri)読売新聞 鳥取城(鳥取県鳥取市):太鼓御門復元へ
 鳥取市は、鳥取城にかつて太鼓を打ち鳴らして城下に時刻を示した太鼓御門を復元することを決めた。現在石垣の約1/3が崩壊してしまっているが、明治から昭和初期の写真などから石の積み方が明らかとなった。さらに、明治8年(1875)以前に撮影されたと思われる櫓が残っているときの古写真や享保5年(1720)の大火で焼失した翌年に描かれた「鳥取城修復願絵図」などを参考にして、史料で確認できるなかで一番古い寛永9年(1632)頃の姿で復元する。今後文化庁と協議して細部を詰め、約6億円で平成30年(2018)度までの完成を目指す。
▼鳥取城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/totori/tottori.htm
 http://www.burari2161.fc2.com/tottorijyou.htm
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/oscilloscope/c-tottori/tottori.htm
2008/05/30(Fri)毎日新聞 福井城(福井県福井市):復元をすすめる会が復元計画策定を県に要望
 「福井城の復元をすすめる会」は、福井城跡一帯の復元計画を策定するように福井県に要望した。同会は県議や県内外の経済界関係者などで構成され、本丸にあった巽櫓の復元を目標に募金活動などを行っている。今回の要望でも櫓の再建などが盛り込まれ、「歴史まちづくり法案」が成立したことも受けて、福井県と福井市が連携して取り組むことも要望した。
▼福井城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/fukui.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-3-4-siro-FUKUI.html
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/POI/fukui/fukuijou.htm
2008/05/30(Fri)東海日日新聞 上ノ郷城(愛知県蒲郡市):装飾的な玉砂利が出土
 蒲郡市史跡に指定されている上ノ郷城の発掘調査を行っている蒲郡市教育委員会は、庭園への進入路とみられる通路から装飾的な玉砂利を出土していたことを確認した。出土した玉砂利を詳しく調べたところ、蛇の体のような模様があり、焦茶色や濃緑色の蛇紋岩であることが分かった。上ノ郷城は今川方の有力な豪族である鵜殿氏が、四代にわたって居城していた。三河地方では現在の新城市黄柳野付近以外では採れないことから、貴重な蛇紋岩を権威を示すためにわざわざ取り寄せて庭園通路に用いた可能性がある。
上ノ郷城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/kaminogou.html
 http://www1.linkclub.or.jp/~part3/far/kaminogou/kaminogou.html
 http://www.kyouiku.nrc.gamagori.aichi.jp/e-hokubu/gaiyo/rekisi/kami.htm
2008/05/29(Thu)中日新聞 信長居館(岐阜県岐阜市):人工的な石組み発掘
 織田信長の居館跡の発見を目指して岐阜公園の発掘調査を行っている岐阜市教育委員会は、槻(けやき)谷の深さ数十cmの地中からチャートと呼ばれる石を積んだ二段の石組みを発見した。この石組みは1.2mの間隔で、2列に並んでいた。このあたりには昭和時代に登山道があった場所とされるが、信長時代から登山道であった可能性もあるため、戦国時代の地面まで掘り下げて調査を行う。岐阜公園の発掘調査は園内5地区の22ヶ所で、来年3月まで行われる予定である。
信長居館跡発掘調査に関するメールマガジンの登録は、下記サイトで出来ます。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/merumaga.html
▼信長居館跡については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/(岐阜市による発掘調査に関するブログです。)
 http://www.siromegu.com/castle/gifu/nobunagayakata/nobunagayakata.htm
 http://www.gifucvb.or.jp/nobunaga/index.php?ID=22
 
2008/05/29(Thu)琉球新報 山田城(沖縄県恩納村):4月1日付で国史跡に指定
 沖縄県恩納村にある山田城は平成5年(1993)に国の史跡に指定するように答申されていたが、このほどようやく国の史跡に指定された。山田城は三山時代の英雄の一人で、北山今帰仁城を攻め落としたことや世界文化遺産に登録されている座喜味城を築城したことで知られる護佐丸が生まれた城として知られ、発掘調査では14世紀中頃から15世紀初めのものと思われる中国産の青磁や貨幣、玉などが出土している。座喜味城でも同じ文様の土器が出土しており、山田城から運んで使用したとみられる。恩納村ではすでに国指定史跡となってる仲泊遺跡や国頭方西海道と関連づけて、山田城を保存整備する方針である。
▼山田城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5.ocn.ne.jp/~umasijin/gusuku3/yamada.html
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/3476/city/onna.html
 http://t-ranta.mo-blog.jp/tnikki/cat1770934/index.html
2008/05/28(Wed)神奈川新聞 津久井城(神奈川県相模原市):本城曲輪を確認
 津久井城の山頂部分の発掘調査を行っているかながわ考古学財団は、石畳や小皿を見つけ、古地図に記載されていた「本城曲輪群」の存在を確認した。津久井城は小田原北条氏の支城の一つで、城山と呼ばれる山全体が城郭化されている。これまでも発掘調査が行われてきているが、今回は防御拠点があったとされる山頂部の四つの曲輪の有無を確かめる目的で行われた。地下約20cmのところから幅2mの石畳と直径10cmほどの小皿がほぼ完全な形で出土するなどしたことで、本城曲輪の存在が確認された。
▼津久井城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.rekishi.sagami.in/tukui.html
 http://www.kanagawa-park.or.jp/tsukuikoshiroyama/shiroyama.html
 http://utsu02.fc2web.com/shiro77.html
2008/05/28(Wed)佐賀新聞 獅子城(佐賀県唐津市):最大の虎口を確認
 佐賀県の史跡に指定されている獅子城の発掘調査を行っている唐津市教育委員会は、虎口としては城内最大となる石垣遺構を発見した。この虎口は本丸に隣接する一の曲輪北東の斜面にあり、広さ約40平米の四角形で石塁との間には幅5〜6mの通路が形成されていた。この虎口はこれまでに見つかっている6つの虎口で最大の大きさで、本丸まで70mの近さにあることから最後の防御拠点の役割があると思われる。この虎口は石塁と櫓台で構成されていたが、築造の時代が異なることから、櫓台は唐津城主だった寺沢氏が新たに築いたものとみられる。寺沢氏が佐賀・鍋島氏の脅威に緊張感を高めて、軍備を強化したのではないかと同市教育委員会ではみている。獅子城は12世紀末頃に松浦党によって築城され、江戸時代初期に寺沢広高が唐津城の出城として石垣造りに大改造したことが古文書から分かっている。その後の元和の一国一城令か、島原の乱後に、廃城となった。
▼獅子城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/ikomai4koku9syu/saga/sisi.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sisi.htm
 http://www17.big.jp/~castles/20051209/sisiga.html
2008/05/26(Mon)毎日新聞 小諸城(長野県小諸市):大手門が完成し、記念式典開催
 国の重要文化財に指定されている小諸城大手門の解体修理が完成し、25日に解体修理完工記念式典が開催された。大手門は天正19年(1591)に小諸城主となった仙石秀久によって、慶長17年(1612)に築かれたとされている。明治時代には料亭や小諸義塾の仮教室としても使われ、内部が改装されたり、老朽化が激しくなっていた。小諸市では昨年3月から11月にかけて全面的に解体して、創建当時の姿に修復した。同市ではこの大手門改修に合わせて、小諸駅・大手門周辺の整備も進めている。
▼小諸城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.komoro.nagano.jp/kankou/kaikoen/index.html
 http://www.kanko.komoro.org/midokoro/ootemon.html(修復の様子などが分かります。)
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/komoro.htm
2008/05/24(Sat)京都新聞 田辺城(京都府舞鶴市):京極氏時代の外堀土塁が見つかる
 田辺城三ノ丸の発掘調査を行っている舞鶴市教育委員会は、京極氏時代に整備された外堀の内側の土塁を確認した。田辺城は細川藤孝(幽斎)、忠興親子が天正18年(1590)年頃に築城し、そのあとに入った京極氏が江戸時代初めに三ノ丸などを拡張している。今回の調査ではその三ノ丸の南部分(JR西舞鶴駅の北東)について行い、幅約9mの外堀の内側に幅6〜8mのかまぼこ形で砂利と粘土を交互に積んでいた。また、地面からの高さが約1.5mであることも、今回初めて確認された。さらに、城内に導かれている上水道「御水道」の石組み溝が、土塁の内側に沿って続いていることも明らかとなった。同市教育委員会では、「江戸初期は豊臣政権からの移行期で、政情不安なこともあって、京極氏時代に大規模な土木工事をしていたことが証明された」としている。
▼田辺城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.maizuru.kyoto.jp/contents/7d4c1c103609308/7d4c1c1036093089.html
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage82.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-6-4-siro-TANABE.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/maiduru.htm
2008/05/24(Sat)毎日新聞 田中城(静岡県藤枝市):亀石が41年ぶりに里帰り
 藤枝市田中の田中城は円形の縄張とともに、徳川家康の死につながったとされる鯛の天ぷらを食べた城として知られている。田中城そのものは明治維新後に畑などに転用されて多くが失われてしまったが、庭園に飾れていた鶴や瓢箪型の石が残されていた。それらの石も昭和42年(1967)の土地改良工事の際にほとんど破壊されてしまったが、亀石だけは焼津市内に持ち去られていた。長くその所在が分からなかったが、このほど明らかとなり41年ぶりに里帰りが実現した。なお、庭園には平成8年(1996)に里帰りした小さな亀石もあり、親子の亀石が揃ったことになる。
▼田中城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukansizuoka/tanaka/tanaka.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/tanaka.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Shizuoka/Tanaka/
2008/05/24(Sat)四国新聞 高松城(香川県高松市):天守の内部構造について本格的な検証作業へ
 高松城跡建造物検討委員会が23日に開催され、これまでの調査資料を基にして天守の内部構造について本格的な検証作業に入ることにした。今年度から始まる天守台石垣の積み直しに合わせたもので、試算した天守の重量やバランスなどを積み直しの実施設計に反映させる。天守の外観については3年前にケンブリッジ大学図書館で見つかった古写真や当時の絵図などからほぼ明らかとなっているが、内部構造については不明な点が多い。同委員会では解明に向けた議論を進めており、天守台の発掘調査で出土した礎石の位置関係や古文書の記述などから各階の大きさを推定している。今後は各階の間取りや柱の位置、本数などを考察し、模型やCGによって天守の姿を立体的に明らかにする方針である。また石垣の積み直しでは、天守復元も視野に入れて、試算した天守の重さに耐えられる強度にする予定である。
▼高松城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kaihatu/kouen/ryokuchi/tamamo_park.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takamatu.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage247.htm
 
2008/05/23(Fri)読売新聞 糸田城(福岡県糸田町):城主の供養塔と思われる五輪塔発見
 糸田城の調査を行っていた糸田町教育委員会は、城跡の祠から室町時代に作られたとみられる五輪塔を発見した。一基はほぼ原形のままで見つかり、ほかに三基の破片もあった。糸田城で五輪塔が見つかったのは初めてで、同町教育委員会ではこの辺り一帯を支配していた糸田城主の供養塔ではないかとみている。糸田城は鎌倉幕府の実力者であった北条実時の曾孫にあたる糸田貞義(?〜1334)が一帯を支配していた時に、九州防衛の要衝として築城したといわれる。室町時代には地元豪族の砦として使われたが、戦国時代には廃城となった。同町教育委員会は形などから室町時代の五輪塔と推定したが、梵字が刻まれているのは九州では珍しいという。
2008/05/22(Thu)産経新聞 高松城(香川県高松市):桜御門の復元を検討へ
 高松城天守の復元などの検討を行っている「史跡高松城跡整備検討委員会」の第5回会合が行われ、高松市教育委員会は今年度の事業計画として桜御門の復元に向けた調査を行うことを明らかにした。桜御門は生駒親正が16世紀後半に築城した当初から存在していたと考えられ、その後に高松城主となった松平氏の住居として使われた披雲閣が完成した元禄年間(1688〜1704)に改修された可能性が高いという。江戸時代はこの披雲閣への入口として使われたと思われるが、昭和20年(1945)の高松空襲で焼失してしまった。今回の調査では、桜御門の変遷や建築年代を示す資料を集めるとともに、解体修理なども検討するという。
▼高松城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kaihatu/kouen/ryokuchi/tamamo_park.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takamatu.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage247.htm
2008/05/21(Wed)東亜日報 南大門(韓国ソウル市):昔の姿を取り戻す形で復元
 韓国の国宝第1号であった南大門(崇礼門)は今年2月に起きた火災で焼失してしまったが、韓国文化財庁は「崇礼門修復基本計画」をまとめて発表した。これによると、日本の植民地時代に壊された両側の城壁部分を復元するとともに、市電開設により本来よりも高くなってしまった地盤も下げることとした。崇礼門周辺の状況から、左の城壁は10mほど、また右の城壁は70mほど復元できるという。また瓦は火災によりほとんどが壊れてしまったが、昭和36年(1961)に行われた崇礼門の修理以前の昔の瓦を基準として、新たに2万5千枚ほど作る計画である。さらに、この火災を忘れないようにするための展示館を、周辺に建設する予定でもある。
▼南大門(崇礼門)については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.seoulnavi.com/miru/miru.php?id=155
 http://www.k-plaza.com/seoul/palace_08.html
 http://www.konest.com/data/spot_mise_detail.html?no=531
2008/05/21(Wed)読売新聞 松ヶ崎城(千葉県柏市):所有者が市に無断で工事
 柏市文化財に指定されている中世城館跡である松ヶ崎城で、土地の所有者が市の許可なく農地に転用する工事を進めていることが分かった。松ヶ崎城跡の保存に取り組んでいる「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」は市と土地所有者に対して、工事の中止と城跡保存のための協議を行うように申し入れた。戦国時代の城館と後とみられる土塁や堀が残っているが、城跡内で樹木の伐採や掘削作業が始まっていた。土地所有者によると市に保全策などを申し入れても何もしてくれず、土地利用を図ることとしたという。
2008/05/21(Wed)中国新聞 福山城(広島県福山市):想定通り、試掘によって石垣を確認
 JR福山駅前広場整備にともなう地下送迎場の進入部分の試掘調査を行った福山市教育委員会は、想定通りに石垣を確認した。確認できた石垣は長さ11m×高さ1mで、福山城追手門橋東側の外堀と考えられ、古図に基づいて想定した外堀のラインとほぼ合致した。石材や組み方が築城当時のものかどうかは不明だが、すでに出土した裏込を含めて江戸時代の史料から推測した位置と合致した。試掘調査はこれで終了し、本格的な調査を行うかどうかは教育委員会と福山市都市部が協議して決める。
2008/05/20(Tue)毎日新聞 二見城(奈良県五條市):松倉重政を再評価、入城400年記念展開催
 島原の乱の原因の一つを作ったとしてあまり評判の良くない松倉重政だが、江戸時代初めの慶長13年(1608)に五條・二見城主となって五條市新町を開いている。今年はその入城400周年ということで、五條市立文化博物館で松倉重政の治世などを紹介する「新町誕生」展が6月1日まで開かれている。重政はもともと筒井氏の家臣だったが、関ヶ原の戦いで徳川家康方についた。戦後二見城を与えられ、旧二見村と旧五條村の間に「新町」を創った。重政の資料はほとんど残っていないが、二見城絵図のほか、庄屋に伝わる諸役免許状が展示されている。
▼二見城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/futami.htm
 http://blog.goo.ne.jp/gfi405/e/bc5e9700adfbaf792be6e0362117c58d
▼松倉重政400年記念事業については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.gojo.ne.jp/matsukura/
2008/05/17(Sat)読売新聞 和歌山城(和歌山県和歌山市):天守再建50周年を祝う「城フェスタ」が18日に開幕
 和歌山城天守は戦前まで江戸時代のものが現存していたが、昭和20年(1945)7月の空襲で焼失してしまった。その後昭和33年(1958)10月に市民の寄付などによって、外観復元された。今年はその再建からちょうど50周年となることから、それを記念して「城フェスタ」が18日に開幕する。和歌山城の魅力を再発見する様々なイベントが企画され、11月23日まで行われる。18日には砂の丸広場でオープニングイベントが行われ、期間中「お堀で船に乗ろう」「城フェスタ能」や「城下町土曜講座」などの催し物が予定されている。
▼和歌山城「城フェスタ」の詳細については、下記和歌山市観光協会のサイトをご覧下さい。
 http://www2.odn.ne.jp/~chx69820/topics/2005_siro/s-index.html
▼和歌山城については、下記和歌山城管理事務所のサイトをご覧下さい。
 http://www.city.wakayama.wakayama.jp/menu_1/gyousei/wakayama_siro/menu.html
2008/05/17(Sat)朝日新聞 金沢城(石川県金沢市)ほか:金沢城、鮫ヶ尾城と岡豊城が国史跡へ
 文化審議会が16日に開催され、金沢城などを国の史跡に指定するように文部科学大臣に答申した。城郭関係で史跡に指定するように答申されたのは金沢城、鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)と岡豊城(高知県高知市)の3件で、ほかに大清水上遺跡(岩手県奥州市)など全部で8件が答申された。また、通潤用水と白糸台地の棚田景観(熊本県山都町)など2件が重要文化的景観に、常磐公園(山口県宇部市)など12件が登録記念物に指定するように答申された。地元での調整を経て官報に公示されて正式に史跡に指定されることとなるので、早くても3ヶ月は要する。
▼史跡や国宝などに何が指定されているかは、下記の文化庁のデータベースで調べることが出来ます。ただ、実際の登録までかなり時間を要しているです。
 http://www.bunka.go.jp/bsys/
▼文化審議会文化財分科会の議事要旨は、下記の文化庁の公式サイトで見ることが出来ます。
 http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/bunkazai/index.html
2008/05/14(Wed)静岡新聞 浜松城(静岡県浜松市):天守復元構想策定に向けて専門委発足へ
 浜松市は浜松城公園の天守を中心とする歴史ゾーンの整備に向けて、基本構想の策定に着手する。夏以降に郷土史研究家や地元市民などで構成する専門委員会を組織して、具体的な構想や基本計画を検討する。同市では鉄門や城内の櫓門などを史実に基づいて復元する方針だが、天守についても可能ならば復元を行う考えである。専門委員会では、資料集めや歴史的な検証作業を行う予定である。現在の天守は昭和33年(1958)に市民の寄付などによって建てられたもので、今年はちょうど50周年となる。3年後には市制百周年となるので、木造での天守再建を目指す動きもある。
▼浜松城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/
 http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/park/parks/hamamatsujou/index.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/hamamatu.htm
2008/05/12(Mon)静岡新聞 石丁場遺跡(静岡県伊東市ほか):活用ネットワークが発足記念講演会
 伊豆東海岸の民間石丁場遺跡保存会で作る「豆州江戸城石丁場遺跡保存・活用ネットワーク」は11日に発足記念の講演会を行い、熱海・伊東両市の調査担当者が各市内の石丁場遺跡について解説を行った。江戸城築城に際して、石垣の石は伊豆の東海岸から船で江戸に運ばれたが、その採石を行ったところが石丁場遺跡である。この遺跡は熱海・伊東の両市をはじめ、東伊豆町屋神奈川県小田原市など伊豆半島東海岸に広く分布している。このネットワークは熱海市、伊東市および東伊豆町の3つの保存会が4月に発足させたもので、江戸城石丁場遺跡の国史跡指定を目指している。
▼豆州江戸城石丁場遺跡保存・活用ネットワークの活動については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://edojyounet.moriatusi.jp/
▼江戸城石丁場遺跡については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www4.ocn.ne.jp/~kusuda/fureainet/kusudamanweb/newpage243.html
 http://www.geocities.jp/usamiedojyou/huukei.htm
2008/05/11(Sun)毎日新聞 名古屋城(愛知県名古屋市):検定に827人が挑戦
 「第1回名古屋城検定」が10日に行われ、827人が受験した。当初受験者があまり集まらなかったが、最終的に目標の800人を何とか超えた。試験はテキストの持ち込みが認められ、50問の4択式で行われた。正解率7割以上で合格で、成績上位者には記念品などが贈られる。
 出題された問題には下記のようなものがありましたが、出来るでしょうか?
 ・初代尾張藩主の徳川義直が生まれた城は? (1)江戸城、(2)駿府城、(3)名古屋城、(4)大坂城
 ・城内で流れる新妻聖子さんの本丸御殿復元イメージソングの曲名は? (1)煌きの明日へ、(2)煌きの彼方へ、(3)煌きの星空へ、(4)煌きの未来
 ・昭和20年6月、倉庫内で保存していた本丸御殿の襖絵を疎開させた「灰宝神社」の所在地は? (1)尾張旭市、(2)瀬戸市、(3)豊田市、(4)日進市
2008/05/09(Thu)岐阜新聞 信長居館(岐阜県岐阜市):発掘調査区域を拡大へ
 岐阜城のふもとにある岐阜公園内の信長居館跡の発掘調査を行っている岐阜市は、本年度の調査区域を大幅に拡大して5地区22ヶ所で行うこととした。3地区4ヶ所で実施した昨年度の調査では大きな成果を上げたことから、今年度は規模を拡大して居館本体の礎石の発見や全体像の解明を目指すとしている。昨年度庭園と見られる石敷きが見つかった三重塔付近、茶室か蔵とみられる建物の礎石と火災跡が見つかった槻(けやき)谷の周辺部に加えて、居館本体がある可能性が高い明治大帝像前やこれまで調査されなかった冠木門南東部などの発掘調査を行う。調査現場は引き続き一般公開し、メールマガジンを発行して情報発信も行う。
▼信長居館跡発掘調査に関するメールマガジンの登録は、下記サイトで出来ます。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/merumaga.html
▼信長居館跡については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/(岐阜市による発掘調査に関するブログです。)
 http://www.siromegu.com/castle/gifu/nobunagayakata/nobunagayakata.htm
 http://www.gifucvb.or.jp/nobunaga/index.php?ID=22
2008/05/08(Wed)熊本日日新聞 熊本城(熊本県熊本市):築城400年で入城者急増
 平成18年(2006)の年末から始まった「熊本城築城400年祭」はこの5月6日で閉幕したが、熊本城への入城者が飛躍的に増えた。熊本城入城者は昭和40年(1965)の約176万人をピークに年々減少し、平成11年(1999)には約71万人にまで落ち込んだ。入城者数の減少は熊本市の地盤沈下にもつながるとして、経済団体などでつくる同祭実行委員会と熊本市では積極的にキャンペーンなどを行った。その結果、入城者数は約123万人と大幅に増えて、10年ぶりに100万人台を回復した。今年4月には本丸御殿大広間が完成したこともあって、この人気は衰えていない。熊本市では「熊本城築城400年祭」を検証して、費用対効果のあるイベントなどによって熊本城の有効活用を進めたいとしている。
▼熊本城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
 http://www.kumamotonet.jp/siro/
 http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/castleToday.html(現在の熊本城の様子をリアルタイムで見ることが出来ます。)
2008/05/08(Wed)北國新聞 金沢城(石川県金沢市):城跡が国史跡に指定の見通し
 今月中旬に開催される国の文化審議会で、金沢城跡が国史跡指定が妥当との答申が出されると見込みとなった。これを受けて、当初見込みの今秋よりもかなり早く6月中旬頃に正式に国の史跡に指定される見通しである。金沢城跡は高度で多様な技術を駆使した石垣があり、「石垣の博物館」と称されている。また近世城郭の縄張が良好な形で残り、城郭史的にも貴重な存在である。すでに石川門と三十間長屋が国の重要文化財に指定されており、鶴丸倉庫についても先月の文化審議会で重要文化財指定が妥当との答申が出されている。今回の城跡の国史跡指定によって条件が整い、石川県と金沢市が進めている世界文化遺産暫定リストへの追加登録に向けて弾みがつくものとみられる。
▼金沢城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
 http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/index_j.htm(実写とCGで金沢城が再現されています。)
 http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/gallery.htm
2008/05/06(Tue)東海日日新聞 上ノ郷城(愛知県蒲郡市):特別な建物跡とみられるものが出土
 中世城郭の様子をよくとどめており、蒲郡市の史跡にも指定されている上ノ郷城で、特別な建物が建っていたとみられる区域の一部が出土していたことが分かった。同市教育委員会では昨年2月〜3月の第1次調査に続いて、今年4月から第2次調査を行っていたが、丘陵地にある史跡区域の西端で外護石と呼ばれる板状の石列に囲まれた一角を確認した。この部分はほかの部分よりも40〜50cmほど高く土盛りされ、底に10cmほどの大きさの小石を集めた柱穴も見つかった。詳細については今後の調査で明らかになると思われるが、外護石を並べていることなどから最高位の人物に関わる特別な建物があった可能性が高い。なお、上ノ郷城は紀伊・熊野地方に起源を持つ有力領主である鵜殿氏の居城で、今川氏と姻戚関係にあったことから徳川家康に攻められて落城・炎上している。
▼上ノ郷城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/kaminogou.html
 http://www1.linkclub.or.jp/~part3/far/kaminogou/kaminogou.html
 http://www.kyouiku.nrc.gamagori.aichi.jp/e-hokubu/gaiyo/rekisi/kami.htm
2008/05/06(Tue)西日本新聞 大野城(福岡県大野城市、太宰府市):新発見の城門扉鉄製軸受けを宇美町歴史民俗資料館で公開)
 国の特別史跡に指定されている古代山城・大野城の発掘調査で発見された城門扉の鉄製軸受け金具を、宇美町立歴史民俗資料館で公開している。この軸受けは昨年3月の発掘調査で見つかったもので、古代山城では初めての発見となるものである。この金具の大きさは高さ34cm×直径10cmで、重さは12.8kgもあり、朝鮮半島で見つかっているものとほぼ同じ形である。同資料館では大野城で発見された鬼瓦や文字が書かれた土器などとともに、今月18日まで無料公開している。宇美町教育委員会では、今後は九州国立博物館などにも貸し出す予定としている。
▼宇美町立歴史民俗資料館については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.town.umi.fukuoka.jp/info/kanko/history.html
▼大野城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www1.linkclub.or.jp/~yukos/dazaifu/d1foono.htm
 http://www.kyuhaku-db.jp/dazaifu/historic/06.html
 http://www.city.onojo.fukuoka.jp/culture_rekisi_iseki_060615
2008/05/02(Fri)長崎新聞 金石城(長崎県対馬市):旧金石城庭園整備が終了し一般公開
 国の名勝にも指定されている旧金石城庭園の整備が終了し、5月1日から一般に公開された。この庭園は対馬宗家の本拠金石城(国指定史跡)の西端に位置し、17世紀後半に造られた大名庭園である。旧厳原町が平成9年(1997)から発掘調査を開始し、その後調査結果に基づいて整備が行われていた。この庭園の中央には「心」の字をかたどった池が配され、その周囲には大小の景石や玉砂利が配置されている。入園料は、一般300円、小中学生は100円である。
▼金石城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.miyatasan.com/~yagifau/fujinamiism/kaneishijo.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~xt8k-msm/link127.html
 http://www.pref.nagasaki.jp/t_reki/mappukaneisijyou.html
2008/05/01(Thu)神奈川新聞 小田原城(神奈川県小田原市):江戸期の小田原城を3次元CGで再現、公開
 小田原市は江戸時代の小田原城を中心とした小田原の様子を三次元CGで再現し、市のサイトで公開した。このCGは文久年間(1861〜64)に作成された地図(文久図)をもとにして、小田原城が最も華やかだったと考えられる元禄年間(1688〜1704)の本丸御殿、二の丸御殿、大腰掛や馬屋などを加えて再現した。このCGにはナレーションを加えるなどして、分かりやすく5分程度の動画にまとめている。小田原市ではITを活用して市の政策などを市民に分かりやすく情報提供する方法を調査検討しており、今回の小田原城のCG化はその一環である。江戸期の小田原城惣構は延長9kmにもおよぶ大城郭のため、今回のCG化は城まわりを中心に全体の1/5程度であるが、残る部分についてもCG化を進めていく予定である。
▼今回の小田原城再現CGは、下記小田原市の公式サイトで見ることが出来ます。
 http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/3dcg_odawara.html#
2008/05/01(Thu)静岡新聞 駿府城(静岡県静岡市):島田工業高校生が天守を再現し、県庁別館に展示
 静岡県立島田工業高校建築科の生徒らが、名古屋工業大学の研究グループが作成した復元図をもとに駿府城天守の模型を製作した。文化祭の制作発表のために昨年7月から4ヶ月ほどかけて作ったもので、実物の1/40の大きさで高さは1.5mにもなる。今月1日から30日までの予定で、県庁別館1階ロビーに展示されている。
→駿府城天守については、静岡市が検討委員会を発足させてその復元を検討している。しかしながら、具体的な構造が分かる資料などは見つかっておらず、検討委員会では復元に否定的な意見が多いようである。今回は名古屋工大の復元案をもとに作ったようであるが、駿府城東御門内には平井聖昭和女子大学長が監修し、静岡市が製作した駿府城全体の模型があり、そのなかに天守も復元されている。
▼駿府城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.ne.jp/asahi/taka/tutti/page268.htm
 http://tokdo53.arrd.net/hr-02/hiro02/20siro.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sunpu.htm