2008/04/29(Tue)毎日新聞 赤穂城(兵庫県赤穂市):二之丸庭園表門が完成し、庭園が公開
 赤穂市が進めている赤穂城二之丸庭園復元整備工事で、庭園の入口にあったとされる「表門」が完成した。今回復元された表門の形状は記録に残っていなかったため、各地の城郭を参考に冠木門とした。二之丸庭園は本丸庭園とともに江戸時代前期に造られた大名庭園で、明治以降は地中に埋没していた。発掘調査によって遺構が見つかり、城郭内に造営された貴重な庭園として平成14年(2002)には本丸および二之丸庭園ともに国の名勝に指定されている。赤穂市では平成14年(2002)から二之丸庭園の復元を行っており、このゴールデンウィーク中だけ一般公開されている。
▼赤穂城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/akou.htm
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kinki/akou/akou.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-6-9-siro-AKOU.html
2008/04/26(Sat)中国新聞 福山城(広島県福山市):文化庁は福山市との協議で国史跡追加指定に言及
 JR福山駅前広場整備にともなう福山城外堀遺構の取り扱いについて、昨年12月に福山市教育委員会、広島県教育委員会と文化庁との間で協議が行われていた。その内容が4月25日に明らかとなったが、福山市は協議内容を記した文書の大半を非公開にしていた。この文書はA4版4ページのもので、広場整備の計画変更を求めている市民有志の団体「福山駅前水辺公園プロジェクト」が独自のルートで入手していた。これによると、保存に向けた福山市教育委員会の対応が不十分であると指摘した上で、舟入状遺構などを国史跡への追加指定も視野に入れているとその重要性を指摘していた。
→福山城外堀遺構については、特に舟入状遺構は城郭史的にも大変に貴重な遺構であることが指摘されていた。それに対して福山市ではあくまでも開発を続けるとの姿勢を崩さず、いろいろと問題点が指摘されていた。すでに昨年12月に文化庁がこの遺構の重要性をふまえて国史跡への追加指定にも言及しているということは、まさにそれを証明しているものと言える。福山市がこの文書の大半を墨塗りで公開しているのは、自分に都合の悪い情報を出さないとの表れで怒りを禁じざるを得ない。
▼この問題の詳細については、下記の「福山駅前水辺プロジェクト」のサイトをご覧になって下さい。
 http://www.sannomaru.com/ishigaki/information.htm
2008/04/18(Fri)盛岡タイムス 徳丹城(岩手県矢巾町):年代測定により出土した木製兜は1300年前のもの
 国指定史跡である徳丹城の発掘調査で2年前に出土していた木製兜は、年代測定結果によって1300年前のものと分かり、推定よりも200年ほどもさかのぼる結果となった。この木製兜は井戸跡から出土し、井戸桶として再利用されたものと思われた。大きさは横24.5cm×幅20cm×深さ14.9cmで、表面には漆が塗られていた。この木製兜の年代測定を行った結果、大化6年(650)から天武4年(675)頃の7世紀後半に作られたものと推定された。おそらくは大化の改新から間もない頃に、中央で制作されたものと考えられた。兜は保存処理が行われ、4月26日から5月6日のゴールデンウィーク期間中に矢巾町歴史民族館で公開される。
▼徳丹城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://homepage1.nifty.com/05170517/zenkoku/iwate/453_tokutanjyo_1.htm
 http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/tohoku/iwate/tokutan.html
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/shiro/contents/tokutan.html
2008/04/17(Thu)読売新聞 鞠智城(熊本県山鹿市・菊池市):500mにわたる土塁跡を発見
 国の史跡にも指定されている古代山城・鞠智城の発掘調査を行っている熊本県教育委員会は、城跡南側の崖付近で約500mにわたる土塁跡を確認したと発表した。これまでは城壁線は土塁部分と崖部分に分かれていると考えられてきたが、今回侵入が難しい崖部分にも土塁が築かれていたことで、鞠智城全体が土塁で囲まれていた可能性が高くなった。城域南側では数年前にすでに崖の外側に高さ5〜8m×幅約12mの土塁跡が見つかっていたが、今回のものはそこから約500m南東の場所で、高さ1m以上で幅も6.5m以上であった。また、鞠智城では古代山城としては唯一貯水池跡が見つかっているが、この池の端をせき止めていたと思われる幅9m以上の版築による堤跡も確認されている。堤の外側には多くの石材があることから、石が積まれていたのではないかと思われる。
▼鞠智城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/
 http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuka/kanko/kikuchijyo2003/kikuchijyo2003.html
 http://www.city.yamaga.kumamoto.jp/kankoh/03-rekishi/03-13kikutijyou.html
2008/04/17(Thu)産経新聞 福山城(広島県福山市):第2次調査により舟入状遺構の全体像が判明
 JR福山駅前の再開発にともなう福山城外堀遺構の発掘調査を行っている福山市教育委員会は、第2次調査の結果を発表した。それによると、外堀用の船を置いた「舟入状遺構」は東西約30m×南北約23mと判明し、その全体像が明らかとなった。また、遺構北側と東側の石垣は、石の大きさ、組み方や古地図などから、明治以降に作られたことが明らかとなった。この明治期の石垣は山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が開通した際に駅前広場を確保するために作られた可能性が高く、その内側には江戸期の石垣が埋まっているものとみられている。
▼福山城外堀遺構については、下記の「福山駅前水辺公園プロジェクト」のサイトがいろいろと参考になります。
 http://www.sannomaru.com/ishigaki/index.htm
2008/04/17(Thu)山梨日日新聞 武田信義館(山梨県韮崎市):武田東畑遺蹟は武田信義館跡の可能性高まる
 武田信義館跡の内部とされる韮崎市の武田東畑遺跡の発掘調査を行っている同市教育委員会は、信義時代(12世紀末〜13世紀前半)に使われたとみられる青磁や水晶などを発見したと発表した。武田信義は甲斐源氏の祖とされ、江戸時代に書かれた歴史書「甲斐国志」や地名、伝承などをもとに武田東畑遺蹟が武田信義の館があった跡ではないかと推定していたが、今回初めて同時代の遺物が発見されたことによりその可能性が高まった。なお、発掘調査では、同時に直径20〜30cmの柱穴をはじめとして、ものを埋めた穴(土溝)や溝も20ヶ所以上見つかっている。
▼武田信義館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/nobuyosiyakata/nobuyosiyakata.html
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/takeda-yakata.htm
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~ture/takenobuyosikai.htm
2008/04/17(Thu)産経新聞 高松城(香川県高松市):天守台から出土した柱を展示
 高松城天守台については平成18年(2006)11月から昨年3月まで高松市教育委員会によって発掘調査がなされたが、そこから出土した柱2点が高松市歴史資料館で今年いっぱい展示されている。天守台の発掘調査では地下の床面で4ヶ所の柱穴が見つかり、うち2ヶ所は柱が立っていた。この柱2本はいずれも長さ70〜80cm程度で、初代高松藩主だった松平頼重が正保4年(1647)から寛文10年(1670)に天守を改築したときに使用されたと思われる。
▼高松市歴史資料館の詳細については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/643.html
2008/04/17(Thu)読売新聞 駿府城(静岡県静岡市):検討委員会は天守再建について慎重
 徳川家康が建てた駿府城天守の再建の可能性について、静岡市では検討委員会を発足させて検討している。3月に行われた検討委員会の初会合では、具体的な資料が見つかっていないことから慎重論が相次いだ。駿府城天守は慶長15年(1610)に完成したが、家康死後の寛永12年(1635)に焼失してしまい、その後再建されることはなかった。同市教育委員会では国内外の大学や博物館など21ヶ国478機関に対して駿府城天守についての資料があるかどうか問い合わせたが、具体的な寸法や構造が分かる資料は見つからなかった。
▼駿府城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_tyousa_sunpujyou_index.htm
 http://tokdo53.arrd.net/hr-02/hiro02/20siro.html
 http://www.uraken.net/museum/castle/shiro98.html
2008/04/16(Wed)毎日新聞 佐伯城(大分県佐伯市):三の丸櫓門近くの石垣が崩落
 佐伯城三の丸櫓門近くの石垣の一部が崩落していることが分かり、佐伯市では修復を検討している。崩落した部分は櫓門から10mほど離れた石垣の下部で、幅約1.5m×高さ約1mにわたって崩れていた。同市文化振興課によると、崩落の原因は不明で、以前から弱っていたのではないかとみている。
▼佐伯城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kyusyu/saiki.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kyushu/saikijyo.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/saiki.htm
2008/04/15(Tue)毎日新聞 亀山城(三重県亀山市):崩れた石垣をどう復元するか検討中
 震度5強を記録した三重県中部地震からちょうど1年経ったが、地震で崩落した亀山城多聞櫓の石垣の修復はまだ目処が立っていない。崩れた石垣は北西隅で、高さ4.5m×幅2mにわたって被害を受けた。この部分は昭和46年(1971)の台風で崩れ、翌年に修復した場所である。亀山市教育委員会が当時の修復箇所を調べたところ、被害を受けた石垣は高さが1mしかなく、上部は土塁であった可能性が出てきた。台風後の修復時に石垣を高く積んで、石段などを新たに付けたと思われた。今年1月には専門家6人からなる「亀山城跡保存整備指導委員会」を発足させ、どのように復元するかを検討している。地元の亀山市や三重県にも資料が残っていないために、周辺の発掘調査などによって本来の姿を明らかにしていく。
▼亀山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.kameyama.mie.jp/topics/hakutu.html
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-5-8-siro-KAMEYAMA.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kameyama.htm
2008/04/15(Tue)読売新聞 佐敷城(熊本県芦北町):交流館「桝屋」が完成
 芦北町が佐敷城近くで建設していた「薩摩街道佐敷宿交流館」(通称:佐敷本陣「桝屋」)が完成し、14日に落成式が行われた。佐敷地区には古くからの町並みが残り、環境整備事業の一環として景観形成を進めていた。今年3月に佐敷城が国の史跡に指定されたことから、町では交流館を中核施設に一帯を観光ルートとして整備する。なお、佐敷城は加藤清正が戦国末期に南の薩摩に対する備えとして築いた。
▼佐敷城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sasiki.htm
 http://hail.web.infoseek.co.jp/shiro002_sajiki.html
 
http://www.geocities.jp/ikomai4koku9syu/kumamoto/sajiki.html
2008/04/14(Mon)熊本日日新聞 熊本城(熊本県熊本市):本丸御殿大広間が130年ぶりに蘇る
 熊本市が熊本城復元の目玉として取り組んできた「本丸御殿大広間」が完成し、報道陣に公開された。今月20日からは、一般に公開される。本丸御殿は慶長15年(1610)頃に築造され、藩主の居室をはじめとして茶室など多くの部屋があった。今回復元されたのは大広間を中心とした部分で、本丸御殿全体の約1/3にあたる。木造瓦葺地上三階、地下一階で、4年半の歳月と総工費約54億円を費やした。資料に基づいて忠実に復元され、豪華絢爛な「昭君の間」、太さ80cmの赤松の丸太を使用した「大御台所」や御殿床下の地下通路「闇り通路」などが見どころとなる。
▼熊本城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
 http://www.kumamotonet.jp/siro/
 http://www.adsccat.co.jp/kumamotojoh/
2008/04/12(Sat)山陽新聞 備中松山城(岡山県高梁市):二重櫓を展示場として公開へ
 国の重要文化財である備中松山城の二重櫓はこれまで古い建材などの保管所として使用されてきたが、これを展示場に衣替えして一般に公開することとなった。二重櫓内には昭和期の帯美重なる修理で不要となった建材の保管場所となっていたが、高梁市教育委員会では文化遺産を活用しようと1階部分を展示場として衣替えした。江戸期の鬼瓦など天守や二重櫓に使用されていた品やほかの櫓跡などから出土したものなど20点を展示し、4月13日に一般に公開した。今回の公開はこの1日だけだが、今後は春と秋の観光シーズンの休日に数日ずつ公開する予定である。
▼備中松山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.bitchu.jp/matuyama/
 http://www.takahasikanko.or.jp/matsuyamajo-kaisetu.htm
 http://ftown.boo.jp/takahashi/map/matuyama/rekisi.htm
2008/04/11(Fri)奈良新聞 高取城(奈良県高取町):壷阪口門の礎石を確認
 国指定史跡・高取城の発掘調査を行っている高取町教育委員会は、壷阪口中門跡から戦国末期(16世紀後半)のものとみられる暗渠の石組み溝と礎石を確認したと発表した。壷阪口中門は高取城の中枢部への西の入口にあたり、これまでに3個の礎石は確認されていたが、今回新たに2個の礎石を発見した。これらの礎石の配置から、控え柱と潜り戸を持つ間口3間×奥行き1間の構造と分かった。これらの礎石の60cmほど下層からは、二の丸の石垣から延びる石組みの排水溝も見つかった。長さ約15mの東西溝とY字型につながる長さ約5mの南北溝からなり、上面は平らな石を組んでフタをされ、隙間には目張りの粘土が詰められるという丁寧な造りであった。戦国末期に大和を領した豊臣秀長の家臣でこのあたりを支配していた本多氏が本格的な築城をした際のものと考えられ、城内には同様の排水溝がめぐらされていたと思われた。
▼高取城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.io.nara-su.ac.jp/takatori/index.php(CGで高取城が再現されます。)
 http://www.town.takatori.nara.jp/kankou/kankou/kankou/kan2/yamasiro.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takatori.htm
2008/04/11(Fri)中日新聞 名古屋城(愛知県名古屋市):中国楽器を描いた幻の障壁画を発見
 名古屋城二之丸御殿に飾られていた障壁画4点が徳川美術館で見つかり、報道陣に公開された。このうちの2点には中国古代の楽器が数種類づつ描かれているが、このような図案は国内では例がないという。尾張徳川家の初代当主である徳川義直は中国に傾倒していたために、その影響があるのではないかと考えられている。これら4点の障壁画はいずれも江戸時代初期の17世紀に、狩野派の絵師によって描かれたとみられる。5月18日まで徳川美術館で開催予定の春季特別展「桃山・江戸絵画の美」で、一般にも公開される。
▼徳川美術館および特別展の詳細については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.tokugawa-art-museum.jp/
2008/04/11(Fri)読売新聞 姫路城(兵庫県姫路市):石垣33箇所に傷み、今年度より修理開始
 国指定史跡・国宝であり世界文化遺産にも登録されている姫路城で、33ヶ所の石垣にハラミやせり出しなどの傷みがあることが分かった。姫路市教育委員会では、このうち傷みの深刻な19箇所について今年度から修復を行なうことを決めた。姫路城の石垣は全部で906面もあるが、このうちハラミが10ヶ所とせり出しが3ヶ所で確認された。同市教育委員会では平成15年(2003)度から石垣の実態を調査して、「カルテ」を作って対策を検討していた。担当者によると差し迫った危険はないが、これを機会にしっかりと直したいとしている。
2008/04/11(Fri)読売新聞 有岡城(兵庫県伊丹市):発掘調査でイノシシや鹿の骨が出土
 国の史跡に指定されている有岡城の発掘調査を行なっている伊丹市教育委員会は、長さ50m以上の大規模な堀を新たに見つけるとともに、ここからイノシシ、スッポンや鹿のものとみられる骨が出土したと発表した。この堀は幅6.5m×深さ2.7mで、南北に50m以上の長さがあった。これまでに東端の主郭を守る南北の堀「大溝筋」(幅6m×深さ2.7m)が確認されていたが、今回の堀はこの大溝筋の西約20mに平行して存在していた。またイノシシや鹿は有岡城周辺では捕れないために何らかのルートで城内に持ち込まれ、食されたのではないかとみられる。城主の荒木村重は茶人としても知られることから、グルメでもあったのではないかと調査担当者はみている。
▼有岡城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.siromegu.com/castle/hyogo/arioka/arioka.htm
 http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Oshiromeguri/AriokaJyo.html
 http://wagamachi-itami.jp/arioka/
2008/04/09(Wed)西日本新聞 中津城(大分県中津市):8年かけて穴太積みの石垣を復元
 天正16年(1588)に黒田如水が築城を開始したとされる中津城で、平成12年(2000)度から進められていた本丸南側の石垣と堀の復元工事が完了した。復元された石垣は高さ5.7mで、長さは約130mにも達する。国の補助を受けて、穴太積みと呼ばれる古いタイプの石垣を忠実に復元した。この当時の石垣が残るのは九州では名護屋城と名島城などごく少数であるために、城郭史的にみても貴重な存在である。なお中津市では今後も発掘調査を進めて、中津城全体の国史跡への指定を目指すとしている。
▼中津城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city-nakatsu.jp/modules/kankou/index.php?id=67
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kyushu/nakatu/nakatu.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/nakatu.htm
2008/04/08(Tue)毎日新聞 甲府城(山梨県甲府市):江戸時代初期の姿を描く最古の詳細図
 江戸時代初期に描かれたとみられる甲府城の絵図が、京都大学工学部建築系図書室所蔵の資料から見つかった。この絵図は「甲府城並近辺之図」で、城の北東側に平成16年(2004)に復元された稲荷櫓のほかに2つの櫓が描かれていた。この櫓は、これまで設置物や時期が不明だった遺構の場所と一致した。さらに城の西側には「湯」と書かれた丸印とその南となりに四角い石囲いの絵が描かれており、温泉を移して風呂に入ったのではないかとみられる。なお天守台は描かれているものの、天守そのものは描かれていなかった。この絵図には宝永2年(1705)製の絵図に描かれている城を囲む石垣がないことから、寛文4年(1664)の大修理前の徳川将軍家や幕府が直轄支配していた頃のものと考えられた。
2008/04/06(Sun)西日本新聞 鷹城(大分県日田市):相撲の神様「日田どん」の居城調査へ
 相撲の神様「日田どん」として知られる平安時代の豪族・大蔵永季(1056?〜1104?)の居城とされる鷹城について、今年度から地元の住民グループが本格的な調査に乗り出す。鷹城は慈眼山にあったとされ、大分県による文化財調査でふもとから平安時代のものとみられる井戸や居館跡がすでに見つかっている。本格的な調査はまだ実施されてはおらず、地元の城町と豆田地区の住民でつくる「城町まちづくり実行委員会」が資料に残る鷹城と現況とを照らし合わせるなどの調査を行なう。大蔵永季は身長2mを超す大男と伝わり、「鬼太夫永季」と呼ばれて日田ではかなうものがいなかった。16歳のときに宮中の節会(相撲大会)に招かれて、対戦相手の出雲の小冠者を倒している。
▼鷹城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://iris.hita.net/~city/dowaok/muk42.htm
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/14533
2008/04/05(Sat)北國新聞 金沢城(石川県金沢市):鶴丸倉庫が国の重要文化財となる見通し
 金沢城内に建つ江戸時代の土蔵「鶴丸倉庫」が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。城郭内に現存する近世の土蔵は全国的に見ても数棟しかなく、このうち6棟はすでに国の重要文化財に指定されている。鶴丸倉庫はこれらと比べても幅約14m×奥行き約21mと規模が大きく、二階建てと大変に珍しい。昨年4月にはすでに石川県の有形文化財に指定されており、今月中旬に開催予定の文化審議会で重要文化財指定が適当との答申が出る見通しとなった。鶴丸倉庫の築造年代は不明であるが、江戸時代末期の嘉永元年(1848)に現在の規模に改築され、武具保管が目的であったことが分かっている。
▼金沢城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
 http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/index_j.htm(実写とCGで金沢城が疑似体験できます。)
 http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/gallery.htm
2008/04/04(Fri)毎日新聞 和歌山城(和歌山県和歌山市):西の丸庭園に「紅葉渓橋」完成
 和歌山城西の丸の紅葉渓庭園に、新しい紅葉渓橋が和歌山県産のヒノキを用いて完成した。この橋は江戸時代に描かれたとされる絵図にしたがって昭和47年(1972)に復元されていたが、老朽化にともなって今回架け替えられた。なお紅葉渓庭園には、平成18年(2006)に御橋廊下も復元されている。この御橋廊下は二の丸と紅葉渓庭園を結ぶ屋根付きの橋で、通り抜けが出来るようになっている。
▼和歌山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.wakayama.wakayama.jp/menu_1/gyousei/wakayama_siro/menu.html
 http://www.wakanoura.net/w_first1.htm
 http://www2.odn.ne.jp/~chx69820/spot/castle/castle.htm