2008/03/31(Mon)山梨日日新聞 勝山城(山梨県都留市):お茶壺蔵跡とみられる建物の柱穴
 勝山城の発掘調査を行なっている都留市教育委員会は、蔵跡とみられる柱穴を発見した。この柱穴は直径約30cm×深さ約60cmの大きさで、柱の間隔は半間(約60cm)で蔵にみられる構造であった。勝山城は江戸時代に京都宇治から将軍に献じる宇治茶を江戸まで運ぶ「お茶壺道中」で茶葉を一時的に保管する場所とされたといわれ、今回の遺構はそのお茶壺蔵の可能性が高いとしている。出土場所は本丸から北へ少し下ったところで、江戸初期の文献に記載されている「お茶壺蔵が本丸から54間(約100m)」にも合致する。
▼勝山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/t.katuyama/t.katuyama.html
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/katsuyamajo.htm
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics051021-4.html
▼都留市教育委員会によるこれまでの発掘調査結果については、下記サイトでみることが出来ます。
 http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=3706
2008/03/27(Thu)静岡新聞 駿府城(静岡県静岡市):天守建設の可能性検討へ委員委嘱
 静岡市駿府城天守閣建設可能性検討委員会の第1回会合が開かれ、市が実施したアンケート結果などを報告した。現在駿府城天守を復元できる史料は見つかっておらず、アンケートでも「史料が見つかっていない段階での復元」に48%が反対で、賛成の43%をわずかに上回った。ただ、「史料が見つかった場合の復元」には67%が賛成している。本検討委員会では駿府城の文化的な価値と天守復元による経済効果の検討を行うこととしており、年数回程度の会合を開く予定である。
2008/03/27(Thu)中日新聞 岡崎城(愛知県岡崎市):大林寺郭堀の発掘で新たな石垣発見
 規模の大きな石垣が昨秋に出土したことで注目されている岡崎城大林寺郭の発掘調査を行っている岡崎市教育委員会は、昨秋に石垣が見つかった場所の西約100mのところに新たな石垣を見つけたことを発表した。この石垣は大林寺郭堀北斜面の石垣の西端にあたり、土塁との境とみられた。同市教育委員会は現地説明会は開かずに、26日からすでに埋め戻し作業を始めた。幕末の絵図などから、昨秋に見つかった石垣は今回の石垣まで続き、石垣の下には犬走りをはさんで下段にも石垣が埋まっている可能性が高いとみられている。
→昨秋の石垣についても保存を求める声に対して、岡崎市は開発を優先してしまった。今回の発見は昨秋に続くもので岡崎城の姿を変えるものかも知れず、今回は説明会すら開かずに埋めてしまったやり方には疑問を感じざるを得ない。
2008/03/27(Thu)四国新聞 高松城(香川県高松市):高松商工会議所が天守の復元を求めて要望書
 高松商工会議所は高松市を訪れ、高松城天守の復元を求める要望書を大西市長に手渡した。要望書では、平成22年(2010)の市制120周年記念事業の目玉として、高松のシンボルとなる天守の復元を強く市に求めている。これに対して大西市長は「国指定史跡では天守が復元された事例はないが、地元の要望は伝えてあると天守復元の可否は文化庁にゆだねられている現状を説明した。
▼高松城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kaihatu/kouen/ryokuchi/tamamo_park.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takamatu.htm
 http://www.miyatasan.com/~yagifau/fujinamiism/takamatsujo.htm
2008/03/26(Wed)毎日新聞 熊本城(熊本県熊本市):築城400年祭最終章始まる
 熊本城築城400年祭を締めくくる「エピローグ 未来へ」が、熊本城一帯で始まった。熊本城天守閣特別展示「熊本城と細川家」「西南戦争と熊本城」(4月1日〜5月6日)などの多彩なイベントが予定されており、5月6日にフィナーレを迎える。
▼熊本城築城400年祭の詳細については、下記公式サイトをご覧下さい。
 
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/400/
2008/03/22(Sat)中国新聞 福山城(広島県福山市):舟入状遺構は保存すべき
 JR福山駅前広場整備にともなう発掘調査が進む福山城の舟入状遺構を視察した日本考古学協会の理事らは、保存状態は良好で、近世土木技術の側面を解明できる資料ともなることから、保存すべきであるとの見解を示した。同考古学協会は今後協議した上で5月にも要望書を福山市に提出して、慎重かつ詳細な調査の実施、保存作の検討や国史跡の範囲拡大などを求めるとしている。
▼福山城舟入状遺構などの福山駅前広場整備にともなう発掘状況などは、下記の「福山駅前水辺公園プロジェクト」のサイトが詳しい。
 http://www.sannomaru.com/ishigaki/
2008/03/21(Fri)朝日新聞 上之山勝山館(北海道上ノ山町):出土品が重要文化財へ
 21日に開かれた文化審議会は、文化庁が保管する島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸を新たに国宝に指定するなど、31件の美術工芸品を重要文化財に新たに指定するように文部科学大臣に答申した。この中で、北海道上ノ山町の上之山勝山館からの出土品を重要文化財に指定するように答申している。
2008/03/21(Fri)佐賀新聞 須古城(佐賀県白石町):龍造寺隆信時代の遺構を確認
 戦国時代に北部九州を支配した龍造寺隆信の居城だった須古城の発掘調査を行っている佐賀県文化課は、龍造寺隆信時代の遺構がほぼ完全な形で残っていることを確認した。須古城はもともと南北朝時代に北朝方の城として築かれたが、戦国時代には在地領主であった平井氏の居城となった。戦国時代の永禄6年(1563)から天正2年(1574)にかけて攻略し、改修して領土拡大の拠点とした。江戸時代には須古鍋島家が一部を屋敷としていたが、城の大部分は荒れたままであった。江戸および明治時代の絵図などから県文化課は城の主要域を確認し、城中心部の草木を刈ったところ複数個所に石積みがあることが分かった。同文化課では城の中心部はほぼ総石垣造りだったと推定しており、当時の城館としてはきわめて珍しいとしている。
▼須古城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.siromegu.com/castle/saga/suko/suko.htm
 http://www17.big.jp/~castles/20051209/suko.html
2008/03/20(Thu)大分合同新聞 臼杵城(大分県臼杵市):天守は関ヶ原以前と推定
 大分県史跡に指定されている臼杵城の発掘調査を行っている臼杵市教育委員会は、大友氏の城が焼失したあとに造られた天守櫓は文禄3年(1594)から慶長5年(1600)の間に建てられたと推定した。臼杵城の天守櫓はこれまで形や建築時期が分かっていなかったが、天守台石垣の構造などを詳しく調べた結果、関ヶ原以前に建てられたと推測された。大友氏は文禄2年(1593)に豊後を追われ、その翌年から稲葉氏が城主となる慶長5年(1600)の間に造られたと考えるのが妥当である。この時期の天守台遺構は全国的にも例があまりなく、関ヶ原以前に豊臣秀吉配下の武将によって築城されたものとして九州で唯一確認できる天守台でもある。また城主の居住区があったとされる西の丸御所内の発掘では、ルイス・フロイスによる「日本史」にも記載されている大友氏時代の天正16年(1588)に起きた臼杵城の全焼火事の痕跡も確認できた。
▼臼杵城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/usuki.htm
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kyushu/usuki/usuki.htm
 http://haikai.putcher.info/siro/ooita/usuki/usuki.htm
2008/03/15(Sat)陸奥新報 福島城(青森県五所川原市):出土した木柱の年代は13世紀末から15世紀前半
 平成17年(2005)と平成18年(2006)に青森県教育委員会が行った福島城の発掘調査で出土していた木柱を放射性炭素年代測定法で分析した結果、13世紀末から15世紀前半の中世であることが分かった。これまでの発掘調査結果では内郭や外郭東辺土塁の構築年代が14世紀後半から15世紀前半の室町時代であることが分かっていたが、今回の分析結果はこうした推定を裏付けられたこととなる。福島城が築城されたとされる14世紀後半から15世紀前半は十三湊が港湾都市として最も繁栄した時期にもあたり、それらとの関わり合いが今後の課題となる。
▼福島城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/02_009.htm
 http://toyama.cool.ne.jp/arahousi/manyuuki/tosaminato/noname1.htm
 http://bekkan.web.infoseek.co.jp/80tugaru/80tugaru_hasi.htm
2008/03/15(Sat)山陽新聞 屋島城(香川県高松市):城門復元に向けて次年度に着工
 日本書紀にも記載がある古代山城・屋島城では6年前の発掘調査で城門が出土したが、高松市教育委員会ではこの城門の復元に向けて次年度から復元工事に着工する。平成26年(2014)度末には築城当時の姿を再現して、一般に公開する予定である。この城門は幅約5.4m×奥行き約9mで、国内の古代山城としては最大級の大きさを誇る。門の床面からは階段状の石積みが見つかっているが、これは他に類例がほとんどない貴重なものである。また岡山県総社市の鬼ノ城北門に続く2例目となる、全長約6.7mの排水溝跡も見つかっている。
▼屋島城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/019/
 http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/yasima.html
 http://www.adnet.jp/nikkei/shiseki/contents/042.html
2008/03/14(Fri)毎日新聞 大坂城(大阪府大阪市):幕末の写真原版6点を24日まで限定公開
 幕末の大坂城を撮影した写真原版6点が10年振りに、大阪城天守閣で24日までの10日間だけテーマ展「描かれた大坂城・写された大阪城」で公開される。この原版は湿板写真で、日本にこの技術が伝わった直後の慶応元年(1865)頃に撮影されたとみられる。この当時大坂城にいた14代将軍徳川家茂や側近が撮影させたものと思われ、大手門や本丸を囲む櫓などが写されている。入場料は600円で、第二次世界大戦末期の写真や江戸時代初めに描かれた城の屏風など合わせて126点も同時に公開される。
▼このテーマ展の詳細は、下記大阪城天守閣の公式サイトをご覧下さい。
 http://www.osakacastle.net/exhibition/special.html
2008/03/13(Thu)福井新聞 一乗谷朝倉市遺跡(福井県福井市):権力を裏付ける刀装具の鋳型37点が出土
 国指定史跡一乗谷朝倉氏遺跡の発掘調査を行っている福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は、朝倉義景時代のものと見られる目貫や笄などの刀装具の鋳型37点が出土したと発表した。これらの鋳型が出土したのは義景最後の妻であった小少将が住んでいたとされる諏訪館跡のふもとで、目貫11点、笄10点、縁金物4点、兜金2点などの鋳型合計37点である。中世の刀装具の鋳型が出土したのは国内5例目だが、1ヶ所からこれだけ多数が出土したのは初めてで、朝倉氏が金工師集団を抱えていたことが明らかになるとともに、その権力を裏付けるものと言える。
2008/03/11(Tue)宮崎日日新聞 飫肥城(宮崎県日南市):北側の谷之口脇の石垣が全容を現す
 飫肥城北側の要衝だった谷之口脇の石垣はこれまで草木に埋もれていたが、日南市生涯学習課による伐採作業が終了してその全容が現れた。長さ約56m×高さ5mに達する規模の大きなもので、寛文2年(1662)以降の飫肥城絵図には記載があったが、その詳細については分かっていなかった。この石垣は飫肥城本丸跡の北東で、御倉跡の北側に位置し、北側からの敵の侵攻に備えるために初期の頃に築かれたと思われる。寛文2年の絵図によると谷之口脇には池があって、石垣はこの池を東と南から囲むように描かれているが、今回姿を現した石垣は東側の張り出し部分が撤去され、貞享2年(1685)の絵図にあるように西側部分が北へ3.7m張り出して石が積まれていた。
▼飫肥城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kyusyu/obijyo.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kyushu/obi/obi.htm
 http://www.kankou-nichinan.jp/kanko_annai/spot_obi_jyoukamachi.html
2008/03/09(Sun)南紀州新聞 新宮城(和歌山県新宮市):鯱の尾びれと見られる断片見つかる
 新宮城の鯱のものと見られる尾びれなどの断片が、新宮市内の民家から見つかった。今回見つかったものは縦約36cm×横約25cm×厚さ約10cmのもので、櫓に乗っていたのではないかと推測されている。同時に胴部分のものと見られるうろこが付いた瓦も同時に見つかっており、いずれも新宮城の鯱の一部であった可能性が高いと思われた。昨年秋に白浜町で新宮城のものと思われる鯱が見つかっているが、それとは別なものと思われた。新宮城は慶長6年(1601)に浅野忠吉によって築城され、元和の一国一城令で廃城となったあと、紀州徳川家の付家老水野氏によって再築城された。今回の断片は水野氏時代のものと推測されたが、断定は出来ていない。
2008/03/07(Fri)読売新聞 丸山遺跡(神奈川県伊勢原市):道灌最後の地と思われる巨大遺構発見
 江戸城を築いたことで知られる太田道灌は主君である扇谷上杉定正に謀反を疑われ、伊勢原の定正館に呼ばれて暗殺されたというが、これまでその具体的な場所については分かっていなかった。伊勢原市教育委員会では同市下糟屋にある丸山遺跡の発掘調査を行なっていたが、巨大な堀などが出土したことから、道灌が暗殺された定正館跡ではなかったかと推測している。この堀は幅約16m×深さ約7.5mと巨大なもので、長さ約13mにわたって出土した。その構造や周辺の土質から15〜16世紀のものと見られ、約400m四方の遺跡全体を囲んでいる可能性が高い。丸山遺跡には鎌倉幕府の御家人であった糟屋左衛門尉有季の館があったとされてきたが、今回の発見で上杉氏の館である可能性が高まった。これまでは、上杉氏の館は丸山遺跡の約2.5km西北西の上粕谷地区の高台にあるとする説が有力であった。
2008/03/05(Wed)中日新聞 大垣城(岐阜県大垣市):40年前に出土した瓦などを市に寄付
 大垣城天守は戦前まで国宝に指定されていたが、残念ながら戦災で焼けてしまった。その後昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート製で外観復元され、昭和41〜42年(1966〜67)には本丸北西の乾櫓も再建された。その乾櫓再建の際に石垣が解体され、金箔鬼瓦、軒丸瓦や菊丸瓦などが出土した。このうち金箔瓦は戦前まで現存した国宝天守以前に天守が存在したことや、豊臣政権との関係をうかがわせる貴重な資料である。その当時は大垣市教育委員会に保管の環境が整っていなかったために、工事の設計・管理に当たっていた建築設計業の一柳さんが許可を得て保管していた。今回この出土遺物を活用するために、一柳さんから同市教育委員会に寄付された。教育委員会では3月8日から大垣市郷土館に展示し、一般公開する。なお、一柳さんは大垣城天守を築いたとされる一柳直末の子孫に当たるという。
▼大垣城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.ogaki.lg.jp/kankou/kankouspot/ogakijou.htm
 http://www.og-bunka.or.jp/guide/castle/index.html
 http://bekkan.web.infoseek.co.jp/123oogakijyo/oogakijyou.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/oogaki.htm
2008/03/04(Tue)神戸新聞 姫路城(兵庫県姫路市):平成の大修理で地上30mに見学室設置へ
 平成21年(2009)度から始まる国宝・姫路城の「平成の大修理」の方法を検討していた姫路市は、その概要を発表した。5年間をかけて漆喰の塗り替え、屋根瓦の葺き替えとともに、耐震性を高める構造補強も行なう。大天守については工事期間の約4年間、鉄骨と鉄板で出来た「素屋根」ですっぽりと覆ってしまうために、素屋根の内側に見学者用のエレベーターを設置して、地上30m以上の高さから大天守の屋根の修理作業などをガラス越しに眺められるようにする。
2008/03/04(Tue)毎日新聞 加納城(岐阜県岐阜市):本丸大手の櫓門石垣を発見
 国指定史跡である加納城の発掘調査を行なっている岐阜市教育委員会は、本丸大手の櫓門の石垣などを確認したと発表した。大手櫓門は枡形に設けられ、大きさは幅約11m×奥行約6.6m×高さ約3.5mと推定されている。今回発見された石垣は門の南側下部の一部で、南北約4m×東西約5mである。この部分の石垣はほかの場所と異なって砂岩で造られており、門柱の礎石も発見された。さらに、明治4年(1871)頃に解体された際のものとみられる門の鯱瓦、瓦や鉄製の鋲など多数も出土した。
▼加納城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.gifu.gifu.jp/kankou/rekishi_03.html
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/kanou.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kanou.htm
2008/03/02(Sun)毎日新聞 興国寺城(静岡県沼津市):北曲輪最先端に深さ7mの空堀
 北条早雲が初めて城主となった城として知られる国指定史跡の興国寺城の発掘調査を行なっている沼津市教育委員会は、北曲輪にある大きな空堀を発掘し、1日に現地説明会を開催した。この堀は東西85m×幅13mで、深さは5mと7mの二段構造となっていた。また堀底は箱型で、遺物はほとんどなかったが、発掘を行なった市教育委員会は戦国末期から江戸時代初期に掘られたものとみている。また新たに幅8mの堀も発見され、今後本格的に調査を行なうが、長さは北曲輪の空堀に匹敵するものと考えられている。
▼興国寺城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/koukokuji.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Shizuoka/Koukokuji/index.htm
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukansizuoka/koukokuji/koukokuji.html
2008/03/04(Tue)読売新聞 甲府城(山梨県甲府市):最古の甲府城絵図が京大で見つかる
 江戸時代初期以前に描かれたとみられる甲府城の絵図が、山梨県教育委員会の調査で京都大学工学部図書室所蔵資料の中から見つかった。この絵図は「甲府城並近辺之絵図」で、縦2.14m×横2.33mの大きさ。北東側の稲荷櫓の近くにあって、これまでその形が不明であった2つの櫓が描かれていたが天守は描かれていなかった。天守台は描かれていることから、もし天守が存在したとしたら絵図よりも前の年代と考えられた。これまでの資料や描かれている内容から万治3年(1660)より以前に作られた可能性が高く、緻密な描写などからその信憑性も高いと考えられた。
▼甲府城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kanko/history/0104.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kofu.htm
 http://woodone3831.hp.infoseek.co.jp/c-1-3-4-3-siro-KOUFU.html
2008/03/03(Mon)産経新聞 本能寺(京都府京都市):信長の宿所は小規模な専用御殿だった
 昨年実施された本能寺の発掘調査結果などから、国際日本文化研究センターの今谷教授は本能寺の変当時に織田信長が宿所としていたのはごく小規模な専用御殿だったという新説を発表する。同センターが近く発行する論文集「王権と都市」に掲載されるもので、建物の大きさは最大でも40m四方程度だったというものである。昨年の発掘調査では東側の調査地からは幅6m×深さ1mのL字型の堀や焼けた痕跡のある瓦が見つかったものの、西側の調査地からは建物跡などが確認されなかった。この結果から東側の堀は西に延びずに、約40m四方の建物を囲むものと判明した。同時代に建てられた園城寺勧学院や光浄院のような、規模の小さな住宅用御殿が建っていたものとみられる。この理由としては、大坂本願寺が落城寸前で、毛利攻めのために大坂へ本拠を移そうとしていたのではないかと今谷教授は推測している。
2008/03/03(Mon)岩手日報 鳥海柵(岩手県金ヶ崎町):国史跡指定に向けて本格調査
 金ヶ崎町教育委員会が進めている鳥海柵の発掘調査は、新年度から国の史跡指定に向けての本格的な調査の段階となる。鳥海柵は安倍氏が造営した十二柵の一つで、前九年の役(1051〜62)で源頼義に敗れるまで安倍宗任が居住したといわれる。新年度からの5ヶ年計画では国史跡指定の用件に欠かせない柵の範囲の特定を行ない、平成25年(2013)度に史跡指定の申請を目指す。11世紀の遺構や遺物が少ないために鳥海柵の価値は大きく、調査の結果が注目されている。
▼鳥海柵については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/shiro/contents/tonomi.html
 http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_42/vol42_2fr.htm
 http://toraneko.cside.com/newpage74-2.htm
2008/03/01中日新聞 名古屋城(愛知県名古屋市):本丸御殿の完成を5年前倒しへ
 名古屋城本丸御殿の復元を目指している名古屋市は、これまでの平成34年(2022)度完成を5年前倒しして平成29年(2017)度とすることとした。これは工事全体を一括発注することによって工期を縮めることが出来ると判断したもので、寄付を募っている市民の早期完成を望む声にも応えることとなる。名古屋市では本丸御殿の復元工事の総事業費を約150億円と見積もっており、工事費が巨額となるために3期に分けて別々の業者に発注する予定であった。これを一括発注することで工事の一貫性も確保でき、工事期間も短縮できる見込みとなる。新年度には入札を行って年度内に工事を開始し、平成22年(2010)度には玄関などの一部を完成させて一般に公開する予定である。
▼名古屋城本丸御殿復元の詳細については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.nagoyajo.naka.nagoya.jp/hommaru.html