| 2005/07/15(Fri)北國新聞 金沢城(石川県金沢市):二の丸御殿は豪華意匠 |
石川県教育委員会は、藩士の公務日記である「御造営方日並記」(ごぞうえいかたひなみき)を解読して、二の丸御殿は第12代藩主前田斉広(なりなが)が細かく指示した豪華絢爛な意匠であることが分かったと発表した。御造営方日並記は御殿再建の造営奉行を務めた加賀藩士高畠厚定が記した全15冊におよぶ記録で、県教育委員会が解読を進めていた。このなかで、七つの部屋から構成される竹の間については、藩主自らが細かく指示を与え、内装の細部のデザインなどにもこだわったことが分かった。
→二の丸御殿は政庁となる公的な部分と藩主の私的な部分とからなり、初めは寛文2(1662)年に建立された。その後、文化5(1808)年に火災により焼失し、翌年に再建された。今回の話題は、このときのことである。明治維新以降も残っていたが、明治14(1881)年に惜しくも失火により再び焼失してしまった。唯一二の丸御殿の唐門が、金沢市内小山神社の東神門として移築され現存している。
→金沢城については、金沢城公園公式ホームページをご覧ください。
→金沢城の発掘状況は、石川県教育委員会文化財課のホームページをご覧ください。 |
| 2005/07/15(Fri)山陽新聞 津山城(岡山県津山城):来春完成を目指して太古塀を復元 |
| 今年4月に備中櫓が復元された津山城で、来春完成を目指して太鼓塀の復元が始まった。太鼓塀とは内部にこぶし大の石を詰めた構造で、現存するのは金沢城だけ。復元するのは備中櫓西側の「五番門南石垣」と呼ばれる石垣の上で、高さ2.6m×長さ33m。 |
| 2005/07/14(Thu)神戸新聞 姫路城(兵庫県姫路市):姫路市が整備構想案を提示 |
世界文化遺産にふさわしい姫路城と周辺地域の将来像を検討している「姫路城跡整備基本構想検討会」(委員長:新谷洋二・日本開発構想研究所理事長)の第2回会合が13日開かれ、姫路市の整備構想案が示された。
姫路市がたたき台として示したのは、1)特別史跡区域を現状のまま保存、2)建物を完全復元、3)新たな施設を整備 などのゾーンに分けた上で、周辺地域に景観保存ゾーンを設けるというもの。
→姫路城については、姫路市役所のホームページに詳しく紹介されています。 |
| 2005/07/12(Tue)紀伊民報 安宅氏城館(和歌山県日置川町):安宅氏の山城2ヵ所を調査 |
日置川町教育委員会は、中世の紀伊で大きな力を持っていた安宅(あたぎ)氏城館跡の測量調査を始めると発表した。調査の対象とするのは、中山城(同町田野井)と土井城(同)の2ヵ所。正確な測量調査を行い、文化財として保全する必要があるかを検討する。
安宅氏は熊野水軍の一翼を担った一族で、「紀伊続風土記」によると中山城は「田井備後守が居住していたが、安宅玄蕃に滅ぼされた」と記述されており、その後安宅氏の城館となったと考えられる。一方、土井城は三段の曲輪と堀切が認められており、荘内に入る街道を抑える役目があったと思われる。また、同町内には、安宅氏に関係する山城として上記2つの城のほかに、八幡山城、大野城、安宅本城、勝山城、古武之森城、大向出城の6ヵ所が残っている。 |
| 2005/07/11(Mon)朝日新聞 猿岡城(和歌山県粉河町):築城名手・藤堂高虎の出発点 |
| [わが町の自慢の史跡・記念碑]として、粉河町粉河の猿岡城が朝日新聞和歌山版に紹介されている。藤堂高虎は、はじめ豊臣秀吉の弟である秀長に仕える。弘治2(1556)年の秀吉の紀州攻めに参加し、そのときの功績で粉河一万石の所領を与えられ、猿岡城に居を構える。その後築城の名手とされる高虎の、言わば原点といえる。 |
| 2005/07/10(Sun)岐阜新聞 野中城(岐阜県飛騨市):新しい山城を発見 |
| 飛騨市神岡町の郷土研究グループ「ふるさと神岡を語る会」は、地元の言い伝えや古い文献などをもとに同町吉田地区で現地調査を行って新しい山城を発見した。佐伯県城調査員によって山城の遺構と確認され、野中山の頂上付近にあることから野中城と命名した。この山城からは吉田地区が一望に出来、約20m×35mの堀に囲まれた本丸跡や土塁が確認されている。同町内には、国指定史跡の江馬下館跡など16ヵ所の城跡が確認されているが、新たな城跡が加わったこととなる。 |
| 2005/07/09(Sat)朝日新聞 佐敷城(熊本県芦北町):佐敷城の紹介 |
朝日新聞熊本版の企画特集[火の国をゆく]シリーズで、芦北町の佐敷城が紹介されている。佐敷城は肥後に入った加藤清正によって築城されたとされ、元和の一国一城令によって廃城となっている。
→佐敷城については、こちらも参考にしてください。
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