2005/07/29(Fri)中日新聞 信長居宅(岐阜県岐阜市):入口付近の通路は一直線
 岐阜市岐阜公園内に残る織田信長居宅跡の試掘調査を行っていた同市教育委員会と教育文化振興事業団は、入り口付近の通路が一直線だったと発表した。今回試掘を行った場所は、門があったと想定されるところから高台の居宅に通じる広場までの幅2m×長さ6mの範囲。深さ1mほどのところで、粘土で舗装されたような通路とみられる地面が現れた。通路を側面から補強するための大きな石を置いたことも分かっており、通路はほぼ直線だったことが判明した。岐阜を出た信長は天正4(1576)年に安土城に移るが、安土城本丸に通じる一本道構造がそれ以前の岐阜に認められたこととなる。この発見が安土城にどのような影響を与えたか、専門家による本格的な検証を行う予定。また、30日に一般向けの現地説明会が行われた。
→岐阜城については、岐阜市のホームページをご覧ください。
2005/07/29(Fri)中日新聞 大垣城(岐阜県大垣市):復元に向けて市民債創設も
 大垣市は28日に、大垣城の埋められた内堀の一部再現や本丸の鉄門の復元などを検討する大垣城郭の復元構想を打ち出した。ほかに、お鳥屋敷と呼ばれる藩主の下屋敷跡地を整備したり、散策路や日本庭園を新たに造ったりといった内容が盛り込まれている。しかしながら、対象となる約30ヘクタールの土地のほとんどは民有地であり、土地取得など多くの問題を解決しなくてはならない。小川市長は「現在の大垣は魅力的な街並みとなっておらず、歴史や文化を見直して市民に親しまれる城郭の整備を行いたい」としており、大垣城市民債を創設するなど市民の協力を求めたいと呼びかけている。具体的なことについては、9月の発足する検討委員会で討議する。
2005/07/26(Tue)高知新聞 高知城(高知県高知市):天守最上階の回り縁を完全修繕へ
 国の重要文化財である高知城天守最上階にある回り縁が長年の風雨による傷みが激しいため、高知県教育委員会では本格的な修繕を行うこととした。工事期間は9月中旬からの3ヶ月間で、この間は回り縁に出て外の眺望を眺めることが出来なくなる。県教育委員会では西側と一部北側の回り縁についてこれまでも修復を行ってきたが、完全には修繕できていなかった。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代を主人公とした司馬遼太郎さんの「巧妙が辻」が、来年度のNHKの大河ドラマとして放送されることとなった。そのため、観光客が増えることが予想され、安全面の配慮もあって工事を行うこととなった。
→高知城天守は、言わずと知れた現存十二天守の一つ。この天守からの眺めはとても良く、特に天守につながる東多聞櫓、廊下門(いずれも国の重要文化財)に詰門がY字形に連なる景観はほかの城郭ではみられない特徴的なもの。
→高知城については、高知城公式ホームページをご覧ください。
2005/07/25(Mon)京都新聞 上安久城(京都府舞鶴市):曲輪跡や石組み埋納遺構が出土
 舞鶴市上安久にある上安久城跡の発掘調査を進めていた京都府埋蔵文化財調査研究センターは、支城跡とみられる曲輪跡や石組み埋納遺構が出土したと発表した。埋納遺跡は12世紀後半のものとみられ、宗教儀式に使われた鉄磬(てっけい)や青銅製の飾り金具などが見つかった。石組み遺構が見つかったのは本城跡とされる小山の斜面で、2m四方×深さ0.5mの大きさ。また、曲輪跡が見つかったのは本城跡東側の丘陵地。
→舞鶴地方の山城分布に関しては、以下のホームページが参考となります。
 http://www2.nkansai.ne.jp/com/mill/hiro/rekisi-1/19-yamasiro.htm
2005/07/21(Thu)北國新聞 金沢城(石川県金沢市):県より金沢城次期整備計画が提示
 21日に開かれた石川県議会兼六園周辺整備特別委員会において金沢城の復元計画が審議され、石川県土木部より次期整備計画が示された。それによると、期間を10年間に限定せず、中長期的なスケジュールを含めて復元の方向性を打ち出す考え。昨年までの第一期整備により菱櫓、五十間長屋と橋爪門続櫓が復元され、委員からは具体的検討が可能建造物については早期に整備に着手するように求められた。
→金沢城については、金沢城公園公式ホームページをご覧ください。
2005/07/16(Sat)毎日新聞 長浜城(滋賀県長浜市):金箔瓦で混乱
 長浜市教育委員会は、6月に長浜城跡から25年前に出土した三巴紋軒丸瓦と鯱瓦が金箔瓦だったと発表していた。
 
 →2005/06/22(Wed)京都新聞 長浜城(滋賀県長浜市):出土した瓦が金の鯱と判明
 この発表に対して、「合戦に勝利して瓦を葺くなどの事例はなく、金箔=秀吉は短絡的で早計」と織豊期城郭研究会は異議を唱えていたが、市立長浜城博物館からも「秀吉は、賤ヶ岳合戦後は京都・山崎にいて大阪城築城にかかり、長浜城にはいなかった。どちらかと言えば、長浜城は整理する傾向にあったと思う」と同じように疑問を投げかけている。同研究会の中井代表は、「結論を出すには資料不足。城郭遺跡では大量の金箔瓦が出土するのが通常で、今回のように一枚のみというのはあり得ない。長浜城でも今後出土する可能性があり、今後の調査に期待したい」と話す。市教育委員会が年代特定に曖昧さを残したまま発表したことにより、専門家の間でも意見が分かれることとなった。市教育委員会は今回の発表に無理があったことを認めており、今後の慎重な調査が待たれる。
2005/07/15(Fri)北國新聞 金沢城(石川県金沢市):二の丸御殿は豪華意匠
 石川県教育委員会は、藩士の公務日記である「御造営方日並記」(ごぞうえいかたひなみき)を解読して、二の丸御殿は第12代藩主前田斉広(なりなが)が細かく指示した豪華絢爛な意匠であることが分かったと発表した。御造営方日並記は御殿再建の造営奉行を務めた加賀藩士高畠厚定が記した全15冊におよぶ記録で、県教育委員会が解読を進めていた。このなかで、七つの部屋から構成される竹の間については、藩主自らが細かく指示を与え、内装の細部のデザインなどにもこだわったことが分かった。
→二の丸御殿は政庁となる公的な部分と藩主の私的な部分とからなり、初めは寛文2(1662)年に建立された。その後、文化5(1808)年に火災により焼失し、翌年に再建された。今回の話題は、このときのことである。明治維新以降も残っていたが、明治14(1881)年に惜しくも失火により再び焼失してしまった。唯一二の丸御殿の唐門が、金沢市内小山神社の東神門として移築され現存している。
→金沢城については、金沢城公園公式ホームページをご覧ください。
→金沢城の発掘状況は、石川県教育委員会文化財課のホームページをご覧ください。
2005/07/15(Fri)山陽新聞 津山城(岡山県津山城):来春完成を目指して太古塀を復元
 今年4月に備中櫓が復元された津山城で、来春完成を目指して太鼓塀の復元が始まった。太鼓塀とは内部にこぶし大の石を詰めた構造で、現存するのは金沢城だけ。復元するのは備中櫓西側の「五番門南石垣」と呼ばれる石垣の上で、高さ2.6m×長さ33m。
2005/07/14(Thu)神戸新聞 姫路城(兵庫県姫路市):姫路市が整備構想案を提示
 世界文化遺産にふさわしい姫路城と周辺地域の将来像を検討している「姫路城跡整備基本構想検討会」(委員長:新谷洋二・日本開発構想研究所理事長)の第2回会合が13日開かれ、姫路市の整備構想案が示された。
 姫路市がたたき台として示したのは、1)特別史跡区域を現状のまま保存、2)建物を完全復元、3)新たな施設を整備 などのゾーンに分けた上で、周辺地域に景観保存ゾーンを設けるというもの。
→姫路城については、姫路市役所のホームページに詳しく紹介されています。
2005/07/12(Tue)紀伊民報 安宅氏城館(和歌山県日置川町):安宅氏の山城2ヵ所を調査
 日置川町教育委員会は、中世の紀伊で大きな力を持っていた安宅(あたぎ)氏城館跡の測量調査を始めると発表した。調査の対象とするのは、中山城(同町田野井)と土井城(同)の2ヵ所。正確な測量調査を行い、文化財として保全する必要があるかを検討する。
 安宅氏は熊野水軍の一翼を担った一族で、「紀伊続風土記」によると中山城は「田井備後守が居住していたが、安宅玄蕃に滅ぼされた」と記述されており、その後安宅氏の城館となったと考えられる。一方、土井城は三段の曲輪と堀切が認められており、荘内に入る街道を抑える役目があったと思われる。また、同町内には、安宅氏に関係する山城として上記2つの城のほかに、八幡山城、大野城、安宅本城、勝山城、古武之森城、大向出城の6ヵ所が残っている。
2005/07/11(Mon)朝日新聞 猿岡城(和歌山県粉河町):築城名手・藤堂高虎の出発点
 [わが町の自慢の史跡・記念碑]として、粉河町粉河の猿岡城が朝日新聞和歌山版に紹介されている。藤堂高虎は、はじめ豊臣秀吉の弟である秀長に仕える。弘治2(1556)年の秀吉の紀州攻めに参加し、そのときの功績で粉河一万石の所領を与えられ、猿岡城に居を構える。その後築城の名手とされる高虎の、言わば原点といえる。
2005/07/10(Sun)岐阜新聞 野中城(岐阜県飛騨市):新しい山城を発見
 飛騨市神岡町の郷土研究グループ「ふるさと神岡を語る会」は、地元の言い伝えや古い文献などをもとに同町吉田地区で現地調査を行って新しい山城を発見した。佐伯県城調査員によって山城の遺構と確認され、野中山の頂上付近にあることから野中城と命名した。この山城からは吉田地区が一望に出来、約20m×35mの堀に囲まれた本丸跡や土塁が確認されている。同町内には、国指定史跡の江馬下館跡など16ヵ所の城跡が確認されているが、新たな城跡が加わったこととなる。
2005/07/09(Sat)朝日新聞 佐敷城(熊本県芦北町):佐敷城の紹介
 朝日新聞熊本版の企画特集[火の国をゆく]シリーズで、芦北町の佐敷城が紹介されている。佐敷城は肥後に入った加藤清正によって築城されたとされ、元和の一国一城令によって廃城となっている。
→佐敷城については、こちらも参考にしてください。
2005/07/03(Sun)静岡新聞 馬伏塚城(静岡県袋井市):幅33mの防御的堀を確認
 袋井市浅名地区にある市指定文化財である馬伏塚(まむしづか)城跡で、未確認だった堀の構造が明らかになったと同市教育委員会は発表した。今回確認された堀は江戸時代に書かれた絵図をもとに2年前に発見されたが、今回地中レーダー探査と一部の堀削で調査を行っていた。その結果、幅33m×深さ2mであることが確認され、当時の火縄銃の射程距離や城からの視界など防御的な意味が分かったという。
 この馬伏城は、三河・遠江の小大名だった家康が武田勝頼と遠江の覇権を争った高天神城の攻防で、家康側の前線基地として用いられたことで知られている。今回の発見で、小大名時代の家康の築城技術の高さがうかがえるとしている。今回の堀は一般公開は行われず、調査後埋め戻された。調査資料などは、浅羽郷土資料館で公開される。
2005/07/01(Fri)中日新聞 駿府城(静岡県静岡市):江戸時代中期の黒織部茶碗が出土
 静岡市は昨年8月から同市葵区城内町で行ってきた駿府城三の丸・城内遺跡の発掘調査で、江戸時代中期の黒織部茶碗が出土したと発表した。出土したものは直径15cmで黒の釉薬が塗られており、ほぼ完全な形をしていた。出土した場所は駿府公園の北東にある内堀と外堀の間に位置する城内小学校の敷地内で、同所は駿府城を警護した武士の屋敷跡の可能性があり、当時の武家生活の一端を伺わせる資料となる。また、ほかに硯や陶磁器、茶碗などの破片が大量に出土している。今回の発掘調査の見学会が、2日に現地で行われた。