復元なった津山城備中櫓

 2002年1月16日に起工式を行って以来、足かけ4年かけて復元を行っていた津山城の備中櫓が2005年3月18日に完成し、3月20日より一般に公開されました。国の補助も得て、約8億円かけて復元された備中櫓はとてもすばらしいものです。

備中櫓とは:
 かつて津山城には5層の天守をはじめとして、60を数える櫓があったといわれています。その中でも最大の櫓がこの備中櫓であり、天守に次いで重要な櫓であった。
 この備中櫓という名称ですが、「森家先代実録」に「備中矢倉 池田備中守長幸入来之節出来」とあり池田備中守長幸に由来すると言われています。池田長幸は、織田信長の武将として有名な池田恒興の孫にあたり、姫路城を築いた池田輝政の甥になります。長幸は慶長19年(1614)に父長吉の跡を継いで鳥取城主(6万石)となり、元和元年(1615)には従五位下備中守に叙任されます。その後、元和3年には備中松山城主となります。
 津山森藩初代藩主森忠政の長女於松はこの長幸に嫁ぎますが、長男長常を生んだ2年後に若くして亡くなります。続いて、忠政の四女於宮が継室として入ります。このように、津山森家と備中守長幸とは深い関係にあった訳です。

備中櫓の特徴と見どころ:
 復元された備中櫓に入ってびっくりするのは、すべて畳敷きであることです。通常櫓というのは、文字どおり矢倉であって倉庫のようなものです。津山城の備中櫓は本丸御殿と廊下でつながっており、櫓と言うよりも本丸御殿の一部として機能していたと考えられます。
 一階には本格的な「お茶席」や「御座之間」があり、二階には「御上段」を設けるなど格式の高い空間となっています。


※備中櫓および津山城についての詳細は⇒ 津山城築城400年記念事業ホームページ
 

二階にある「上段の間」

備中櫓は不整形なので、畳も四角ではない。

一階にある「御座の間」

一階にある「御茶席」

津山城のある鶴山公園は、桜の名所として全国的に知られている。今年の桜は遅いと思われていましたが、急に気温が上がったためにあっという間に満開となりました。(2005年4月10日撮影)

桜だけではなく、菜の花もきれいに咲いていました。

下から見上げた備中櫓